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作業中)世界遺産を守る民の知識 <関口広隆>

■世界遺産を守る民の知識 <関口広隆>明石書店 20150123

▽4 田んぼの上に帽子のように森がこんもりかぶさっている。森の少し下は、薪や用材を手に入れる林になっているところも。田んぼの下には、耕す人たちの家がぽつぽつ散らばり、…さらに下には人びとが集まったり、祭りをしたり、遊んだりするところができている。
…てっぺんも森は、水を蓄えられるように守られている。
▽9 イフガオの稲刈りは、穂を短く刈って、穂の根元をくくって束にする。(福岡さん、藁を田に返せるから?)
▽10 海外からの淡水性の巻き貝ゴールデン・アップル・スネイルの卵。伊勢うどんのように太いミミズ。棚田が崩れる原因に…
耕作放棄などを理由に、世界遺産は、危機に瀕した遺産として2001年にリスト化されてしまった。自然と社会に変化が起こり、それが伝統的な文化を崩していき、その結果として棚田がところどころ形をなさなくなってきている状況。
政府としてのコルディリエラ棚田群への関与が、地方分権化の動きに伴って薄く区成ってしまった現在、保全の仕事はすべてイフガオの人たちの知恵と意思にかかってきている。
▽20 棚田のある州はコルディリエラ行政地域administrative regionに属している。
…アクセスの悪さが、外部の人を容易に寄せ付けず、昔のフィリピンが保たれてきた理由となっている。(能登〓も)
…イフガオには11の町municipalityがある。ラガウエ町が州都。大きな棚田があるのはマユヤオ、ラガウェ、バナウェ、キアンガン、フンドゥアンの5町。なかでも世界遺産としてリスト化されているのは、マユヤオ町、バナウエ町バタッドとバガアン、キアンガン町、フンドゥアン町。バナウエホテルの向かいや、ビューポイントの棚田は世界遺産ではない。新しい建造物が多いという理由で、登録基準を満たしていないため。
▽26 フィリピンの3つの文化遺産のうち2つは、スペイン式で建築された石造りの建物。ところが、イフガオなどのルソン島北部の山岳地帯には、スペインの影響は限定的にしか入りこまなかった。
▽29 1903年、アメリカが侵入。抵抗するイフガオ族たちを銃で蹂躙して「開拓」していく。
▽30 キアンガン。バナウエのちょっと手前。山下奉文が1945年9月3日にアメリカ軍に降伏した場所。イフガオ州は、日本軍とアメリカ軍の最後の激戦地。
山下が米軍に降伏した小学校には小さな資料館が建てられている。
…イフガオの棚田を保全しているチームのメンバーにも、祖父母が日本軍に殺されたという人がいる。
…新人民軍の拠点のひとつがルソン島北部の山岳地域だった。共産主義思想とともに、それぞれの民族が他の民族や国家の干渉を受けず、自分たちのことは自分たちで決めるという、先住民族の自決をもとにした反政府活動を開始し、イフガオもその渦中の地域となった(その影響、自立という意味でのプラスの影響は〓)
コルディリエラでの反マルコス武装闘争が活発化した原因の一つは、イフガオ州北部にあるマウンテン州、カリンガ州、アパヤオ州を流れるチコ川に、ダム建設を計画したこと。先住民族は大きな抵抗運動を繰り広げた。コラソン・アキノ大統領は、コルディリエラ人民解放戦線との和平協議を進めた結果、休戦協定を結んだ。
▽34 イフガオ州の人口16万人の7割程度をイフガオ族が占めている。イフガオ族は台湾からわたってきたという人も。洗骨の儀式などが台湾のある民族のと似ているから。
□棚田と人びとの暮らし
▽36 山の上部はトゥドゥン・ディ・パヨ(田んぼの傘)と呼ばれ、通常地域が全体で所有・保護。山の下部は、生活のための資材を得たり、果樹から果実をとったりするために活用する部分。ムヨンと呼ばれる。…家族とか氏族みんなの共同所有なので、相続で分割されず、昔ながらの使い方がつづいている。
「水源涵養林である山の上部の森、用材を採ったりする森(ムヨン)もしくは焼き畑地、そして田んぼ、居住地の4つの部分に区分けできる」
▽39 棚田では在来種も栽培。寒さに強く、肥料が少なくてすむ。成長に要する期間が長く、田植えから6,7カ月かかって刈り取りを迎えるほど。稲わらを田んぼにまいて肥料にする。…低地米を年2回作付けをする場合、稲わらではまに合わないので化成肥料に頼らなければならないと、古老が話していた。
▽42 田植えの準備は9月か10月から。1月に田植え。その1カ月後から除草がはじまる。棚田の土手の部分に生えた草は必ず取って土手やその石組みが壊れないようにする。抜いた草は、放りっぱなしにして水路が詰まる原因をつくらない。泥のなかに埋め込んで腐らせたのち土に返して肥料にする。8月に刈り取り。
…収穫後の切り株の稲わらは、根元で刈って田んぼにまいて肥料にするというのも、このごろの人はやらなくなった作業のひとつ(福岡さん〓)。
刈り入れて束ねられたイネは…乾燥させ…
精米は杵と木製か石製の臼でおこなわれる。イフガオでは1日に必要な分しか精米せず、精米したら籐でできた容器にとっておく。
▽59 危機遺産リストに入れられたのは2001年12月、ヘルシンキで開催された世界遺産委員会でのこと。…約25-30%の棚田が放棄されていて、棚田の土手の崩壊につながっている。これは人びとが地域を離れてしまい、潅漑システムが放置されているからである。…不法な開発が発生していて遺産の景観が損なっている。…この25%〜という数字は出所が不明。
…ジメリナ(グメリナ)と呼ばれるインドあたりが原産の樹木が、早く伐採できて便利だからと植林が広まっている。生態系の問題に。イフガオの森がジメリナだけになったら、森を多様に使って暮らしていくことができなくなってしまう。…イフガオでも棚田上部まで増えていっている(日本のスギヒノキの植林)
▽64 大ミミズ 田んぼに穴を開けてしまう。バナウエでは1990年ごろはじめて見られた。
▽66 棚田が野菜のみ、あるいは野菜と稲作が輪作で栽培されているのが散見される。…バナウエでは、都市化が進んでおり、棚田の下部は居住地区や商業地区に転用されてきている。
▽69 アロヨは2001年に大統領に。地方分権を勧めた。このため、棚田保全の権限はイフガオ州に一任される結果に。現在イフガオ州にはIfugao Cultural Heritage Officeが設置されているが、貧しい州政府だけでは棚田保全を十分には行えない状態にある。
▽70 イフガオ先住民の伝統的知識がなくなりつつあり、棚田を守ることが難しくなってきている。石垣をどんなふうに組み立てるか…。マユヤオの棚田は土手の部分が石造り。土の土手も、崩壊しないように踏み固める作業に口伝があって、その知識の専門家であるムンミミがそれを代々伝えている。
▽72 イフガオの人 性別に関係なく長子が相続。社会のなかでの役割は性別や富や家系などではなく、個々人の資質や才能で決められる。
▽74 知識保有者の種類 酒造りムンイグワ。
▽76 旧日本軍の兵士の骨、と称して、遺骨が盗まれた。 洗骨の儀式をして、埋葬される。祖先の骨は非常に丁重に取り扱われる。遺骨を盗むというのは、そいういう禁忌の念がイフガオの人たちから失われてしまっているのでは。
▽79 祖父母から父母、父母から子どもへというインフォーマルな学習の機会、あるいはコミュニティのなかでの伝承といった機会が、学校教育と引き替えになってきたという事実。「ちゃんと勉強しないと、家で芋を植えて農業をすることになるぞ」と言われたという人も。学校教育を受けた人がもつ知識や技術は都市部で必要とされるもので、若者がイフガオから都会へと離れていく原因になっている(中居の例。ものづくりの左官のときまでは帰ってきた。サラリーマンになって高学歴は帰ってこない〓)
伝統的知識の継承ができなくなってきている(能登も同じ〓)
▽80 棚田想像は伝統的には長子かその次くらいまでが田んぼを相続していた。耕作できる棚田の面積が限られている場合には、理にかなったシステム。しかし、西洋的な土地相続の法体系では、均等相続がなされることになり、棚田所有の継承体系が壊れてしまったことも指摘されている(〓上大沢では長子相続がつづいた? 古い慣習がつづいたから残った?〓 古い知恵を生かすことの意味)
▽81 キリスト教化 ブロルなどの田んぼの神様への信仰や、それと不可分の伝統にまでは、カトリックは寛容ではない。(浄土真宗と土着信仰の関係〓)
→四つの問題点 学校教育・近代化・低所得・キリスト教化。
→学校教育のなかに伝統的知識をカリキュラムに統合する。生涯学習の場でその知識を普及する。観光や伝統的知識を使った産物生産による伝統的知識の資本化…
▽86 2003年からはじまったナイキのプロジェクトではまず、11町175バランガイのなかに、民の知識の保有者がどこにいるか、見つけていくという作業を第一歩として活動を開始した。
▽92
▽96 日本人への警戒感。「日本人はイフガオの棚田のデザインをコピーしてしまうのではないか」。調査に行くときはクワトロ・カントスと呼ばれるジン5本、缶詰、麺類、3キロの米といったものをもっていく。…貧しい家では3キロの米と缶詰2缶、麺類を取り出した…。
▽105 フンドゥアン町 イ・パパオの人びとは木彫り、石工。イ・パカウォルの人たちは質のよいイフガオ酒造り。
ヒンヨン町 織物の知識が蓄積されている。木彫りも多い。
バナウエ町 木彫り、機織り、籐細工の知識は存在するが、商業的なものに変質してきている。
宗教的な知識の保有者、ムンバキ(司祭)、ムンハプット(呪言師)、ママオ(霊的治療師)は非常に減少している。祖先伝来の宗教を捨てて、キリスト教に改宗している。
ポイタン、キナキン、ボコスといったムラでは、新しいムンバキの層が育っており、30代から50代の人たちが伝統を学びつつあるらしい。
…民の知識を持つ人たちのマッピングを行うという試みは、イフガオの歴史はじまって以来のことで、自分たちの社会を自分たちが知っていくということの重要なステップだった。

□民の知識プロフェッサーの試み
▽108 イフガオ国立大学(Ifugao State University 州立?)もとはイフガオ国立農林大学だった。
民の知識をもった人が、学校という場で若者に教える。イフガオ史上はじめての試み。口伝でつたわってきたものを、公の場で「教育」。
▽112 2007年、フンドゥアン、キアンガン、マユヤオ出身の民の知識プロフェサーが大学のキャンパスに集まって、ワークショップ。その後講義内容を考え、2007年から16週間、教室で講義し、ついで実習を行うというサイクルを決めた。「机上の学習よりも実践的な活動こそが、伝統を残していく上で重要だ」という認識で一致。
▽116 当初は自分のムラの優位ばかり…をいうなど、混乱した…
▽120 民の知識プロフェッサーたちの住む場所を訪ねるスタディツアーも、。山での薬草や植生の知識などもカリキュラムに。

□学校教育に
▽123 民の知識を持つ人たちが大学で若者に知識を伝えられたことが地域に希望をもたらした。次は、舞台は学校。
民の知識が継承されなくなった原因は学校教育にあるとする。「よく勉強しないと、家でイモを植えて農業をすることになるぞ」と、学校での知識を主にして伝統的な知識を切り捨てる傾向は今も残っている。
▽124 古来イフガオでは、田植え、稲刈り、葬式の際には、フッドゥフッドゥという古くから伝わる詠唱や踊りがある(〓大西山の田植え歌〓、祭りの意味、歌のあらわす知識)
…フッドゥフッドゥ 稲の生育や稲作のサイクル、田んぼの神様への崇敬など、一連の諸々の日常生活の作業に位置づけられてこそ。
…家族単位、集落単位で伝えられてきた伝承のシステムが機能しなくなりつつある。その対処として、学校教育のなかで教える。パフォーマンスとしてのフッドゥフッドゥを教えるのみならず、より広範囲な民の知識を学校教育の科目として取り込んでいく、というのがグループの戦略の一つになった。(ナイキ)
▽128 1991年に新地方自治法で、地方分権。他の中央省庁が権限や予算を地方自治体に委譲してきたなか、教育省のみあ、行政上の権限は、教育省の地方事務所に配分させつつ、地方自治体の関与も増やしていくという方式をとっている。プロジェクトをする場合、施策の中心はイフガオ州政府ではなく、教育省の州事務所になる。
…2009年、ワークショップ。これをもとに、教育省の州事務所は、教科の分野でどうやって民の知識の教授を組み込むか手探りをはじめた。
▽134 理科 テーマのイネには、先祖代々育てられてきたティナワンという在来種が選ばれた。穂、茎、葉、根といった器官をイフガオの言葉で学習する。
▽136 教育省。数年のうちに民の知識を現代の小学校教育用にかみくだき、小学生にもわかるように組み込むことに成功した。植物の器官の学習や地形の学習といった、基礎的知識からイフガオの民族の技を展開していく構成力の秀逸さ。(〓日本に生かせるのでは、戦後直後には日本にもあった? 加藤歓一郎など〓)
▽137 小学校3年生の教科書はバナウエ・セントラル小学校のアリス・B・ムンティニグ先生が執筆。「(まちの人は)もし道が寸断されたら、私たちは自分で米をついて食べなくてはなりません。…だから子どもたちに『休みの間におじいさんやおばあさんのところに行ったら、農作業の手伝いをしなさい。雑草を抜いたり、豚に何かを食べさせたりしなさい』と言ってます。何か緊急のことが起こっても、自分で生きていくことができるよう準備ができる」
(〓菜園家族、生活改善、自立を育む教育)
…教科書の草案を使ったパイロットクラスが、2010年1月から3月まで、学年別に行われた。
…2011年現在、まだ正式には採用されていないが、他の州でも注目を浴びていて、外国の援助機関も注目している。
▽142 イフガオ国立(州立)大学で民の知識。一般学生のために、体系的に教えるカリキュラムづくり。
イフガオ国立大学は、ラメット町にメインキャンパス、ラガウエ町、ティノック町、アルフォンソ・リスタ町の3カ所にもキャンパスを持つ。州内で唯一の大学だが、実は、行きたがる人のあまりない大学だった。イフガオ州で成績上位の人は、バギオにあるフィリピン大学バギオ校やマニラなどに進学する。
それが一目置かれるようになった経緯は、セラフィン・ンゴハヨン学長(〓調べてみる)の意思があった。広島大学に留学経験。専門は心理学。03年に学長になると、博士課程を設置したり、カリキュラムを改善したり…その結果09年にユニバーシティへ昇格した。「イフガオを発展させるには、州内の大学で人材を育成する必要がある」
〓Center for Living Tradition 生きている伝統センター このセンターこそが、大学のなかで民の知識の継承という新たなプロジェクトを体系化してきたグループの「巣」だった。
▽146 教科書兼ワークブック「イフガオの民の知識」 イネの品種、棚田の構造、農耕具、稲作のサイクル、伝統的な酵母作りと、イフガオ酒造り…
伝統的な稲作を紹介する3章においても、イネの品種や稲作サイクル、収穫後の処理といった農学の部分、田んぼの構造や農機具など農業土木と農業機械の部分に加えて、酵母の作り方と酒造りが紹介されている
(〓日本でも、能登でもそういう形ができないか。伝統の知恵を学ぶカリキュラム〓それがどう将来生かせるか…)
…土地争いの調停法「伝統的な慣習法と司法制度」「伝統的な石組み・石工の仕事」
▽151 石組みやイフガオ酒造りを講義している、ジャック・ロード・O・ベノオラン先生。「イフガオ酒造りの知識のある学生はひとりもおらず、ショックでした。家ではサンミゲルやタンドゥアイ(ラム酒)が好まれているのが原因かも」
…少数民族の知識について研究成果を体系的に収集する。イフガオの人々によってイフガオからイフガオの情報の発信をおこなう。そういう機能を持ったイフガオ研究センターをつくること。
残念ながらイフガオ文化の研究蓄積は、隣州にあるフィリピン大学バギオ校に集中している。この状況を打開し、イフガオの人が主体となった知識の研究ができるような日がいつか来ることでしょう。(知識を地元にとりもどす=能登も同じ。外部の研究蓄積のほうが多い。地元で生かせていない〓)
□学校以外での学習
▽153 蓄積された民の知識が断絶しつつある。それをイフガオの社会で継承していく。ナイキの人は、小学校と大学という教育の仕組みのなかで実現しようとしてきた。さらに、地元の人たちの「自治公民館」のような活動として現れる。
▽155 学校システムではなく、自分たちの知識を若者にどう伝えるか。課題は3つ。若者が外に出てしまって伝えられない。生活スタイルが昔とちがってきて若者が興味を示さない。貨幣経済が日常生活のなかで大きくなるなか、伝える側の経済状況/」生活状況が苦しい。
それに対してナイキのチームが考え出したアイデアは、民の知識を使ったツーリズムを公民館での活動を通じて活用する、というもの。
…イフガオ州の平均所得は15万ペソ。マニラ首都圏で最も所得の低い自治体でも23万ペソ。魔かティでは66.3万ペソ。
この格差を前にして目をつけているのが観光業。「イフガオは行きにくい」という点が、ある種の観光客層をひきつける傾向がある。ナイキでは「知識交換ツアー」「学習ツアー」と名づけている。
ナイキのウェブサイト。構成団体のひとつのNGO SITMoもフェイスブックをもっている。
それをいて、韓国の青年育成のグループがツアーに申し込んできた。2009年に、韓国の学生に農業体験をさせるパッケージが実現。
09年7月にはキアンガン町バイニナン村に、25人の都会に住むフィリピン人と外国人観光客の混成チームが訪問。SITMoとバイニナンの若者たちは、このツアーをてこに、バイニナンでの収穫の儀式を復活させた。(〓能登でもあえのこと復活)
…イフガオの人たちだけの力で継承するのが難しくなっている場合、「よそもの」が来る機会を活用するのは、お金も入ってくるし、一石二鳥。「民の知識ツーリズム」 「教える人」長老も力仕事は若者も…すべての年齢の人たちが恩恵に浴せる。ツーリズムを進めるには、若者が民の知識を学ばなければならない。という効果も。
▽161 フィリピンでは、住民たちが自分たちで公民館活動をする場所を探したり、つくったりして、自分たちで資金を調達して活動をおこなっている。日本にも「自治公民館」があるがそれと似ている。Comunity Learning Center。Indigenous Knowlegde Learning Center。
(久万町の畑野川公民館〓)
…民の知識を村で若い世代に伝える。民の知識に関する文化の情報センター、あるいは文化活動実施の場とする。個人・政府・NGO…研究者のネットワークをつくる。村が経済的に発展し自立していくための活動の場とする。民の知識を外部に教えることをモットーとしたツアーを展開する。
イフガオのラーニングセンターは、消えてしまう伝統を守ることと、村が経済的に豊かになっていくことという、切実な事柄に取り組んでいる。(柳田の公民館〓あえのこと調査)
…ラーニングセンターを農民組織が運営しているのは、キアンガンとバナウエの3カ所。フンドゥアンの2つのセンターでは民の知識保有者協会が、マユヤオでは青年組織が、それぞれ運営を担当している〓。
▽164 民の知識は、教育のなかで「教えられて」はいるが、実生活で使えるようにするには、直接手取り足取り行われるラーニングセンターでの「伝授」という実学が不可欠になる。将来的に、学校での教育と公民館での伝授のふたつが相補って、相乗効果が高まれば…
…学校での取り組みに比べて、残念ながらラーニングセンターでの活動は、まだまだシステムが整っているわけではない。NGOの介入なしには活動がしりすぼみになってしまう可能性が高く…
□情報発信
▽166 1980年出版のEthnographic Atlas of Ifugao アメリカの人類学者ハロルド・コンクリン。…イフガオの人たちは、彼らの研究の対象、客体であっても、主体ではない。
ナイキのチームでは、これまで記録された民の知識についての書籍や論文を手分けして収集した。学校の先生が文化を教えるために手作りした学習ガイドが23も見つかった。…
▽169 多数派の低地フィリピン人が、土地を求めて少数民族の住む地域を蚕食することが、長く問題になっていた。南部でのイスラム教徒との紛争の原因の一端も実は土地をめぐる問題にある。
www.nikeprogramme.org
▽ナイキのチームは、NGOと村のリーダー、州政府、教育省、少数民族委員会という国の出先、大学といったそれぞれの場のなかで、民の知識を守り伝えていく思いを持った人たちの集まり。
▽172 知事が替わると、政策がころりとかわる。政策の属人度が非常に高いフィリピンでは、プログラムを行うときには、安全策を何重かにかけてリスクヘッジをしておくことが重要になる。
▽173 棚田のおかげで有名になったイフガオの先住民が、民の知識の継承を地域社会が学習していくという方式「イフガオ方式」で実施して、成果をあげているということは画期的なニュースだった。
□ナイキのシナリオ
「ナイキ」プロジェクトが06年にはじまった。終始コーディネーターをつとめてきたラケル・ギンバタンさん
1)マッピング 知識の保有者がどのような分野にどれくらいいるか調査。
2)イフガオから情報発信 自分たちの手で自分たちの情報を発信するため、ウェブサイトをつくった。少数民族委員会イフガオ事務所が中心になった。
3)民の知識保有者を教授に 州立大「生きている伝統センター」
4)学校での授業化 教育省イフガオ州事務所
5)大学教育でのコース化
6)ノーフォーマル教育での取り組み 自治公民館 「民の知識学習ツアー」
7)行政への働きかけ
▽180 伝統の継承が廃れてきたときは、その価値を再認識するというステップが大事。地域社会全体として、廃れつつあるものの価値の再発見。小学校での教育、次に中等教育。大学でも。…イフガオ方式では、発生した事態に直接タックルするのではなく、課題を学習・教育で包囲してしてしまうことを目指した。
学校は、失われつつある知識を体系的に教えるのに最適。生徒は否応なく「勉強」しなければならない。…学校では伝えにくい民の知識。生涯学習・地域学習の場が必要に。
自治公民館活動。=民の知識ツーリズム
イフガオ方式ではまず人を発見することからすべてをはじめた。日本の「地元学」の手法と軌を一にしている。地元学の第一歩は地元に「あるもの」を探すこと。
▽186 課題 実生活と脈絡のない知識として学ぶ場合、知識は、テストが終われば忘れ去られる。そのため、祖父母のところで田んぼの手伝いをするとか、自治公民館で近所の物知りの人が教える機会を捕まえるとかいった、実践を準備することが必要となる。
(〓能登も マイスターの意義は実践の場の人がつどっていること。生産の場。生きた知恵)
▽187 ツーリズム 資料館が必要(竹富の意味〓)
▽188 石組みの修復方法(〓愛媛の場合、稲葉先生の父親) 棚田を形成しているのは住んでいる一人ひとりであるという状況では、その一人ひとりの民の知識が欠けてしまうのは、すなわち棚田が消え去ることに直結してしまう。「白川郷・五箇山の合掌造り集落」には共通した点が見られる(白米千枚田の維持の知識は?〓)
□地域が学習するということ
▽190 1960年代の高度経済成長の時代には、惜しいほどの昔からの知識・知恵が捨て去られた。もういまの段階になっては取り戻すこともできないでしょう。
「地域が学習する」
「古き良きもの」は、よそ者がまず先に気づき始めるという傾向がある。しかしイフガオで地域が学習していく動きは「うち」にいるものが気づくという特徴があった。
▽196 ナイキは、SITMoというNGOが、棚田保全には民の知識の継承が大事だと考えてはじまった。しかし代表だったバギラットさんが知事になると、人材が引き抜かれてSITMoの活動がストップしてしまった。…ナイキでは危機に対応して、事業に関わる組織を複数にして、それぞれ独立しながら、かつ連携して活動させることで、試みが断絶しない仕組みをつくった。1つの組織が弱体化しても、その他の組織が補うという、持続可能な復元力のあるチームが形成できた。
…民の知識の継承を復興するという意思をもつ、社会の核になる人たちが、所属組織を超えて柔軟な関係を形成した。バギラットさん、ラケルさん、エステルさん、マーロンさん、ジャッキーさん、ンゴハヨンさん。
▽200 近代化がある程度進むと、伝統的なものが持っていた別の意味での効率性や有効性に人々が気づき、伝統的なものを復活していくという潮流が、世界のどこでも現れてくる。
…近代化が捨て去ってしまったものを、再び取り戻す、という社会の「コスト」をどのように減らせるか。伝統的なものを再構築するのに必要なエネルギーや資源をどれだけ減らせるか。…という観点。
▽202 「学習社会」人びとが自分の能力の向上を生涯にわたって図れる社会、それが評価される社会。地域社会という人間の集合体が、よりよい選択をしていけるように学習していくにはどうしたらよいか、ということ。
イフガオの民の知識の継承を断絶させまいという動きは、民の知識の消滅、その副次的な結果としての棚田景観の崩壊で、イフガオ社会に将来降りかかってくるコストを、可能な限り減らして食い止めるように、学習している過程であると、筆者は見ています。
(〓地区診断)(能登の棚田〓技術継承は? それをなにに生かせる? 千枚田を学びの場に)
▽205 危機遺産から脱した理由 2012年に決定。
・崩壊しつつある4万立方メートルのうち、28.7%が修復された。…
・ナイキというプロジェクトが、伝統的知識や技術の伝承強化を継続している。2012年には民の知識のラーニング・センターが、大学や村の中でオンラインでも開かれる予定である〓〓。…
・伝統的な農業に基づく保全ガイドラインが2011年には5つの世界遺産指定地域で採択され、農民組織が忠実に従っている。…

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