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北前船おっかけ旅日記<鐙啓記>

■北前船おっかけ旅日記<鐙啓記>無明舎 20140513
三度にわたる長期取材はまず、100冊ほどの資料を集めて200カ所の寄港地を割り出した。そのうち164の港をめぐった。その取材日記をまとめた。
第2次取材では、取材予定先100カ所以上に資料の依頼や撮影許可申請をした。第3次取材は合計200カ所の取材先があったという。膨大な取材だ。アポ取りが大変なことが想像に難くない。
裂織と北前の関係など、知っているようで知らない話がちりばめられていておもしろかった。
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▽9 美保関 「北前船で運ばれた福井市の笏谷石」。小浜市に海商の「千石荘」
能登の「いしる」、山形県飛島の「イカの魚醤塩辛」、秋田の「塩汁」なども海上を西から東に伝わった調味料といわれる。
▽12 銭屋五兵衛の息子が寄進した灯籠が恐山に。
▽45 寄港地リスト
▽75 兵庫県竹野町は町を挙げて北前船に取り組んでいる。マンホールのふたのデザインまで。町立の「北前館」は豊富な資料がある。
▽94 函館の赤煉瓦倉庫群 重伝建地区。箱館高田屋嘉兵衛資料館。市立函館博物館には珠洲焼きの大壺に、中国の古銭が30万枚以上入って発見された。
▽107 ケセン語 日本海側から伝わった京言葉と、太平洋側から伝わった京言葉の採集到達点がケセン地方。2つのルートの距離はおよそ太平洋側が半分だが、それは、北前船は東廻り航路より2倍のスピードで文化を伝えたのではないか、という仮説をたてている。
▽141 コンブ。「家計調査年報」によると1家庭あたりの昆布消費金額と消費量が一番多いのが富山市。
▽156 「裂織」古着を紐状にばらばらにして、サイド、布におり直したもの。北前船が運んだ京都の古着もさらに着古してから再利用されている。京都府立丹後郷土資料館
隠岐・丹後・能登・越中越後・佐渡・津軽・南部などの海岸地方と一部の山間部に存在。ほぼ北前船の寄港地と重なっている。(〓〓新潟巻町にも。能登からの移住者が関係? 大沢の猿の子)
…寒さの厳しい日本海側の各地に木綿を売り、また木綿が高価で品薄なこともあり、京都などの古着を運んで商売をした。
▽163 小浜八幡神社 各地の廻船問屋が寄進した北前船の模型、狛犬、玉垣、石鳥居、石畳…。
小浜はアーバンポートがおすすめ。
…北前船が活躍する以前の日本海側と京都大阪を結ぶ物資輸送の中心。その中間地点に近江商人と呼ばれる人たちがいた。
▽168 敦賀「ヨーロッパ軒・敦賀店」のソースカツ丼。ヤマトタカハシ昆布館。現在もおぼろこんぶなどの職人300人もいる。
▽171 北前船主の館・右近家。明治時代に建てられた。河野村役場。
▽173 三国。川﨑船発祥の地といわれる川﨑集落。漁船や荷物運搬船として、日本海沿岸各地で活用された小型帆船。
三国龍翔館 北前船関連資料。三階には裂織のコーナーも。〓
「酒まんじゅう」も、北前船で全国に伝わったともいわれている。
▽176 北前船にも積まれている船箪笥を今も製造している「匠工芸」(福井市)〓
…福井から日本海沿岸に運ばれた笏谷石は、中国石に負けて2000年から切り出しが中止。
▽178 福井の笏谷石、瀬戸内の赤・白の御影石、出雲の来待石、佐渡御影と呼ばれた安山岩。
▽180 美川町 フグのぬか漬けをつくる「あら与」 美川と金石、大野町の特産品。
▽183 大野弁吉のからくり記念館。〓
▽188 金沢市粟崎町 木谷家(木屋)という豪商の屋敷があった。粟崎八幡宮には、木屋が奉納した船絵馬が多数残されている。
▽191 富来町福浦 福浦金比羅神社には船絵馬や模型が奉納。船乗りの無縁墓が200基ものこる極楽坂。〓
▽192 阿岸本誓寺 越後の大工がつくった。
▽時国家。角花さんの塩田。
▽珠洲焼き資料館 小木 宇出津の民俗館。穴水のボラ待ちやぐら
▽186 高岡市伏木の棚田記念館  新湊の海岸沿いの町。東岩瀬の「北前船廻船問屋・森家」
▽198 富山市の「丸一」
▽202 白岩川河口近くの水橋の郷土資料館(〓米騒動や薬売りも?)

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