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よみたい万葉集 <村田右富実監修、助手・阪上望、絵文・まつしたゆうり 文・松岡文、森花絵>

西日本出版社 20190622

 「万葉集の入門書としては最高」と専門家に勧められた。
 難しい解説よりもまず音読して雰囲気を味わい、短歌の作者の「私」に寄り添う。水彩の挿絵も万葉人の心象風景の理解を助けてくれる。短歌はいつも一人称の「私」が詠むから時代を越えられるという。
 当時の風俗や食べ物、恋愛の方法など、知らないことが次々に紹介され、そういう背景を知ることでよりいっそう作者の「私」を感じられるように工夫されている。
 例えば、歌垣は合コンのようなもの。男性が名を尋ね、女性が名前と家を答えれば恋が成立し、プロポーズが成功してもしばらくはヨバイ生活がつづく。これは別の本の受け売りだけど、夜は真っ暗だったから、めざす娘とその母親をまちがえて抱いてしまったってこともあったらしい。
 「ただ一目 相見し人の 夢にし見ゆる」って純粋な歌だなぁと思ったら、実は「相見し」は「いっしょに寝る」という意味と聞いてびっくり。夢は「いめ」と読む。「い」は睡眠のことで「め」は目。眠ってる時に見えるから「いめ」という。いびきは「い」の状態でかくから「いびき」。現在でも「いく」「ゆく」、「いう」「ゆう」と、「い」と「ゆ」は混ざりやすい、という。
 中国の七夕伝説は、織女星が天の川を渡って牽牛星にあいに行くが、日本は妻問婚の習慣だから、牽牛が織女に逢いに行く話に変化したという。
 日本語がもともと持っていた色は、あかい(熟れたもの)、くろい(暗いもの)、しろい(はっきりしたもの)、あおい(熟れていない)の4種類だけという解説にも驚いた。「緑」は「新鮮な、瑞々しい」という意味の言葉だったから、「嬰児」「緑の黒髪」といった表現が残った。布を染めるようになってから、「紫」「藍」「紅」などの植物から色を表す表現が増えた。
 調味料は基本は塩で、砂糖としょうゆはなかった。酢はあったが米の値段の3倍。みその原型といわれる未醬(ひしお)は、大豆・小麦・米などに麹と塩水を加えて発酵させた「もろみ」状の調味料だった。
 短歌の鑑賞のしかた、良し悪しの判断についての解説もわかりやすい。
 たとえば「夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ」という歌は、広い野→茂み→姫百合と、徐々に視点が絞り込まれ、そのあと突然に、自分の内面へと切り替わるという工夫がある。
 そういう目で詠むと、柿本人麻呂や大伴家持のすごさがよくわかる。

 「人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけり」「都なる 荒れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし」という大伴旅人の歌は、太宰府に赴任するときは妻を連れて行ったが、太宰府で亡くなってしまい、ひとり都の家にもどる孤独を詠んだという。その気持ちはよくわかる。

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▽31 「序詞」1つの文脈があって、その文脈から言葉や比喩を使い、もう一つの文脈にずれてかかっていく。
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を…」
▽33 「つま」という日本語にはhusbandの意味もある。何かの横にいるのが「つま」。今でも刺身のツマというよね。
▽45 577 577は旋頭歌。旋頭歌には75のセットになる部分がないから、長歌と同じように衰退。
 初期の万葉集の基本は57調。後期になると、575,77を中心としたものに変わる。これ以降75調が主流になるため「75」の部分がない旋頭歌は衰退するしかなかった。
 だから万葉集、長歌を詠むときは、57で区切ると詠みやすい。
▽47 憎く を 八十一と表記。そのこころは 9×9=くく
▽55 ク活用形容詞は「高くなる・低くなる」のように客観的な言い方が多い。シク活用形容詞は「寂しくなる・愛しくなる」」のように、自分の気持ちを表すものが多い。
▽57 うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
 万葉集の「ひとり」は、たいがい「二人に対する一人」をあらわす。だから恋人がいないという意味の孤独だと思う。
▽58 「浦島太郎」万葉のころには存在し、「日本書記」などにも掲載。
▽79  歌のなかの「いつ誰がどこで」を掘り下げてもしかたない。その部分がなくても、歌のなかの「私」の気持ちと一体化できるから、歌は楽しめる。
▽96 調味料 基本は塩。砂糖としょうゆはまだなかった。ひしお(醬)と呼ばれる調味料と酢(米酢、酒酢)はあったが、酢は米の値段の3倍もする高価なもの。みその原型といわれる未醬があった。醤 大豆・小麦・米などに麹と塩水を加えて発酵させた「もろみ」状の調味料。
▽101 上代の「しのふ」には「偲ぶ」「賞美する」のふたつの意味。「かわいがる」「いいねと思う」のが「しのぶ」のもともとの意味。だから、思われる人は死んでなくてもよい。目の前にいない人に対して、いねと思うと「偲ぶ」の意味に、目の前にいる人に思うと「賞美する」の意味になる。
▽123 「万葉集」は歌集なんだから歌を詠もうよというのがこの本の基本である。
▽125 我々は誰しも私であり、その私の悲しみや喜びを表しているのが歌なのである。歌の中の私と、歌を読む側の私の喜びや悲しみが同期すると、歌は急にやさしくなる。歌は私たちの前に開かれる。
「好きな歌、私の歌を見つけることに限るね」
▽127 私たち3人は、月に一度ほど集まり、古典作品を楽しむ仲でした…読み進むうちに自分だけの「別格歌」に出逢えたのもうれしい経験です。

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