■がん哲学外来へようこそ<樋野興夫>新潮新書 201802
がん哲学外来は、病理学の専門家である著者が、2008年に順天堂医大で無料の相談活動としてはじめた。傾聴とは似て異なる。患者の話をひたすら聴くだけでは、人間同士の対話に至らないことがままある。だから、相手の話を聴いたら、自らの存在をかけて「ことばの処方箋」を出すようにしている。がん哲学外来は、悩みの先にある希望に気づいてもらうためのものだという。
がんになると、病気になったことにとらわれて、日常が一変したように感じられてしまう。でも、生活の優先順位の一番が「がんを心配すること」になってしまっていいのか? 「やるだけのことはやって、あとのことは心の中でそっと心配しておればよい。どうせなるようにしかならないよ」という勝海舟の言葉を引き、がんという一面を受けとめつつも、可能な限り自分の好きなことや好きな仕事を無頓着なほど大胆にしたらよい、悩みの解決はできなくても、解消はできる、という。
さらに、「苦しい時ほど、自分の役割を見つけて」と勧める。役割意識に目覚めて他人に関心を持つことで、心が豊かになっていく。
他人との比較を基準に生きている人は、がんになった途端に「人生もう終わりだ」と思い詰める傾向が強い。そこで思い切って「自分は人生から期待されている」と発想を転換し、周囲や家族から自分は何を期待されているのかを考えてみる。「人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり」(内村鑑三)
「他人との比較を離れ、自分の品性と役割に目覚めると、明日死ぬとしても、今日花に水をやる、という希望の心が生まれてきます」
がんになることは、前向きに生きるための気付きを与えてくれるいい機会とも言える。ピンピンコロリでは、自らの品性はどういうものか、自分はどれだけ忍耐力があるか気づく機会を持てないまま死ぬことになる。
がんは、自分の品性を成長させるきっかけを与えてくれる、という。
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▽がんの大きさが1センチほどであれば、たいてい早期がん。2センチ3センチになっても治るがんはたくさんある。
がんがある程度大きくなると、自律性を持ち、周囲がどんな環境でも生きられるようになる。その前のがんは周囲の環境への依存度が大きくあまり勢いがない。
▽ベッドに横たわっているほかない患者には、もう何もできないと、周囲も本人も思っているかもしれませんが、それはちがいます。近づきつつある死に向かって「自分はどう生ききるか」という大仕事がまだ残されている。死ぬ瞬間まで自分を成長させることはできるのです。自らの品性を、贈り物として家族や周囲の人に残していく。苦しみから希望を見出し、道を歩もうとする生きざまを残す。
▽「人間誰しも、役割がある。それを探しに行かなければならない」 今自分に何ができるのか、人のためになる能力が何か残されていないか考えてみることがひとつの転機になります。自ら、自分の陣営の外に出て行くことが重要です。
▽役割や使命を自分から探そうとしたらプレッシャーで大変です。自分を空の器だと思ってゆったり構えていること。大きな目標より、すぐ近くにあってすぐに取り組める対象を見つける。
▽内村鑑三「だれにでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる人生である」
勝海舟の臨終の言葉は「これでおしまい」。「もう行きます」とつぶやいたのは、難病に苦しんだ内村鑑三の娘。自分自身の歩みの最後をはっきり意識している。
▽がん哲学外来 「時間があるから」「余裕があるから」ではなく、自分の時間や気持ちがたとえ無駄になったとしても、「それにもかかわらずやる」という献身の思いがあると、人の心は豊かになっていきます。「to do」の前に「to be」に意識的になれる人。何をするかより、自分がどういう人間であるかに意識的なれる人が私たちの活動には必要です。
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