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生き上手 死に上手<遠藤周作>

■文春文庫 20180305
 「ひとつだって無駄なものはないんです。僕が味わった苦しみ。僕が他人に与えた苦しみ」。罪でさえも意味がある。
 死んだ父や母や兄姉と、盆の間は交流したいという願望は日本人に特有のものである。それは死んだ肉親が自分からそう遠くない世界に存在していて、こちらのことをあれこれと心配していてほしいという気持ちが我々の心のどこかにあるからにちがいない。科学や理屈が否定しても、私も年齢を重ねるにつれ、そういう本来の気持ちの方を大事にしたいと思うようになった。
 死の淵まで行って生にもどってきた人は、その後死を恐れなくなるという。死後に別の世界があると私はすぐ断定はしない。しかし、いずれにせよ、死は思ったほど辛いものではなさそうだ。
 キューブラー・ロスは、死んだらどうなるか、について大胆な発言をした。
 蘇生患者たちの共通点としては、自分の肉体が見えた。先に死んだ愛するものたちが傍にいるのを感じた。なんとも言えぬ慈愛に満ちた愛の光に包まれた体験をしている。
 死に臨んだ子どもたちに「あなたたちはこの世にまゆを残して蝶々になるのよ」とキューブラー・ロスは教えてあげるそうだ。
 苦しみに出会って神仏を呼んでもなんの言葉も聞こえぬ沈黙・静寂も、なにもない空虚なのではなく、向こうの言葉が我々の言葉と違っているので「静けさ」と感じられるだけなのかもしれない。
 「神も仏もないのか」という声が出たところから本当の宗教が始まる。
「神も仏もないのか」の次に「神や仏にすべてをゆだねる」という心構えがある。「死ぬときは死ぬがよし」と言った日本の聖者の言葉と「すべてゆだねたてまつる」というイエスの言葉は同じだと思う。
 イエスの復活は、我々を包んでいる大きな生命にもどり、その中で生きるということなのである。この大きな生命を仏教者も禅などによって体で感じている。それを悟りというが、悟りをさらに越えた生命体に参加することを復活という。
 85歳の年をとるというのは、澄んだ、迷いのない世界ではなかった。妄想や不安に満ちた、悲しいものでした。
 醜いものや妄想を通り抜けて、どんな光がそこに差し込むか、知りたかった。
 日本の大詩人たちは、虫や草花の中にも宇宙の大生命が宿っているという考えがあった。
 やがて決別するこの地上ではどんな小さなものにもそれぞれに命の賛歌があり、それゆえに美しい意味があるのだと、さし迫る死を通して理解されるにちがいないのだ。それぞれの命は、やがてあなたが死後に還る宇宙の生命の表れだったことを感じるに違いない。
 よい意味でのアニミズムを生活のなかでとりもどすべきなのである。
 夕暮れの歩道橋から都会を見ているとき、不意に私は次の世界のささやきを感じる。感じる者が「死が怖くない」とは決していえない。しかしその怖さは冷たい海に入るときのおびえと似ているとセブロンというフランスの作家が言っている。彼は自分の死期を知りながらエッセイを書いていた。冷たい海に入るとき、我々は体がこわばる、しかしそのなかに入ってしまえば……そこには大きな命の海が広がっている。
 能に出てくる翁のイメージは、老人が次の世界ーー神の世界に近い場所にいるためである。(次の世界がつい最近まで生きてきた。ご先祖になる、感覚)
 シュタイナーは、人生を3つの時期にわけて、肉体で生きる青年期や心や知性で生きる壮年期にたいし、老人は「霊性」で生きると書いた。肉体も知性も衰えた老人だが、次なる世界を感知する感覚だけが鋭くなっていくのだと。
 66年間生きてきた私にとって一番よかった時代は戦後の5,6年間である。はじめて電灯を気兼ねなくともせた。紙は悪いが堰を切ったようにあふれ出た雑誌や出版物。……これからすべてがはじまるという希望が社会にあった。
 だが、5,6年が過ぎた後、民主主義と言われたもののからくりが次第にわかり、戦前と何も変わっていないことを感じはじめた。そして我々は宗教を失い、人間の価値を機能主義の尺度で計るようになっていった。それでも今のところ、あの戦争中に比べればまだマシだ。
 我々の人生のどんないやな出来事や思い出すらも、一つとして無駄なものなどありはしない。神はその無駄と見えるものに、実は我々の人生のために役立つ何かを隠している……。
 大事なのは、その人が配偶者になった不思議の方である。そこにはあなたの見通しや知恵の及ばぬ何かが働いていると思わないだろうか。その不思議さに思い当たるとき、この縁を大事にしたいという気持ちも自ずからわいてくる。その気持ちには、目に見えぬものに対する畏敬の感情も交じっているのだ。
 演奏会でいやなものは、演奏終了直後の「ブラヴォー」。この数年ぐらい前から日本のホールではじまり…。披露宴の終わりで花婿や花嫁が双方の両親に花束を渡すという身の毛もよだつ行為をやり出したのと同じ時期だ。

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