11月 222006
 

ヤンキー先生が教育再生会議の委員に抜擢された。
ヤンキー先生は伊藤真との対談では
「憲法は国民が国家に課すもの」と近代立憲主義に基づくご立派な見識を述べていたけど、
男女平等に関しては
「『平等』にしたら男に重い物を持ってもらえなくなる。『同権』はあっていいが、『平等』はありえない」
と、独自の平等観を披露してくれた。
大丈夫かなあと心配してたら、教育再生会議では
教育委員会を国が評価すべき、とか、
国家・国旗法遵守は当たり前、とのたもうた。
ええっー、転向?!
いやいや、がっかりめされるな。
ヤンキーに特攻服・日章旗はつきもの。
ヘッドを支えるレディースとの関係に照らし合わせれば、
ヤンキー先生のおっしゃる国家観・平等観もうなづける。
しょせんありがたがるほうがどうかしているのだ。

それよか、アブナイのは「教育再生会議」。
「ヤンキー」までいるシロウトの寄せ集め集団に、
教育の憲法を好き勝手論じられるのはなぁ。
(でもって政策になっちゃうからコワイ)
学力低下、イジメや自殺、最近では未履修科目の問題などを、
社会の問題としてではなく、教育の問題や「教育基本法の問題」にすり替えようとしている点。
たしかに「教育バウチャー」制度で学校の選択が認められれば、いじめられている子には朗報かもしれない。
それに学校の先生(とか公務員)って、
ぬるま湯につかって「民間」のサラリーマンに比べてずいぶん恵まれてる気がしないでもない。
でも、だからといって学校同士、教師同士を競争にさらすことには疑問を感じている。
規制緩和に先立ち、市立の小・中学校に「英語科」「職業科」が作られた。
早くから国際感覚を身につけるための「英語科」と、職業意識を高めるための「職業科」。
教育基本法を変えたい人の代表格、三浦朱門の言葉
「勉強ができんものはできんままで結構」が思い出される。
一部のエリート層と、文句を言わず国民の義務だけ忠実に果たすその他大勢にしていきたい国のホンネが地方の教育現場に現れ始ている。

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