劇映画とドキュメンタリー中間の映画だ。登場人物は上条恒彦だけ。
監督が10歳のときに亡くなった母が「死んだらなーんもならん」と言い残した。その言葉をそのままうけとめてしまってよいのか。どう解釈してよいのか。今のぼくでも迷う。
西表島の沖にあるパナリ島という無人島で、監督はこたえを見つけた。ぼくはパナリ島は20年ほど前にカヤックツアーで訪ねたからなつかしい映像だ。
監督は人のいない島に上陸し、さまざまな生物のいとなみを「見る」。
甲虫、蝶、魚、潮の干満……虫も海も土も生きている、命がうごめいている。その姿を丹念に撮る。おだやかにたゆたい、命をはぐくむ海は、母の胎内の羊水のようだ。
だが、そんな「自然」だけがあるのではない。1960年代までは集落があった。深い井戸、石積みの屋敷の塀、のろし台、港の跡…畑のあとには作物の子孫が今もそだっている。人のいとなみの跡からは、そこに生きた人のざわめきがきこえてくる。
命ははじまりも終わりもない。命は「今」をただくりかえす。先祖の霊も「生きて」いる。ナレーションはそう語る。でも語らなくても映像を見ればわかる。
監督は、今は亡き人も、動植物も、島の大地なのか空気なのかわからないけれど、そのなかにたしかに存在している、生きている、と感じている。
死者は生きている。……のかもしれない。
そんな救いを感じさせてくれる映画だった。
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