20080104
老人医療費をいちはやく無料化して有名になった旧沢内村の「今」を映したドキュメンタリー。よくある「福祉の町」の紹介映画なのかなあと、みる前は多少危惧していたが、戦後直後、後に村長になる深沢らがつくった「民俗誌」を冒頭に紹介しているのをみて、これはいける! と思った。期待をたがわぬ内容だった。村人たちの宝のような言葉があちこちにちりばめられていた。
福祉の町や村はあちこちにあるが、北欧の真似だったり、首長の強力な指導力のたまものだったりすることが多い。しかしそういう「上からの福祉」は、草の根に根づくのは難しい。もっと土着の、もっと根っこの部分から生えてくるような福祉のありかたはないだろうか? あちこちの町村を訪問しながらそう考えてきた。
沢内村(西和賀町)はまさにそういうムラに育っていた。特別養護老人ホームでは、死生観について老人たちと語りあい、盆踊りを盛大にもよおす。知的障害者とかかわる保健婦は「この障害も病気も天が授けてくれた試練だもの、一緒にがんばっていこうよ」と障害者の子をもつ母に寄り添う。障害者の施設では田をつくり、生き生きと働く。「障害の重さは命の重さに比例する」「痛みを知ることで人は人になれる」……といった言葉が生まれる。
村外から嫁入りしてきた若い母親は「赤ちゃんの時期はほんのちょっとしたかないから、ゆっくりじっくり育てていきたい。その時その時を一緒に成長していきたい」と語り、その夫は「自分一人ではなにもできない。人に支えられ生かされている」と言う。
なぜ若い夫婦がそんな深い言葉をつむぎだせるのだろう?
虐待されて養護施設に育つ子供たちを地域で受け入れる。はじめはけわしい表情をしていた子供の表情がどんどん豊かになり、お別れの日にはみんな涙を必死にこらえている。子供たちを迎える青年は「過疎のムラだけど、子供だらけにできたらいいなって思うんだ」と夢を語る。子供を迎え入れた長瀬野という集落はかつて、「一人ひとりがせい、皆でせい、話しあってせい」という「三せい運動」を展開した住民自治の原点のような地域であり、1970年代の集落再編成で集団移転してきていた。そういう「ムラの民主主義」が子供たちという他者を受け入れる土壌になったのだろう。
若者たちは勉強会をもよおし、むのたけじの話を聞きにでかけ、老人ホームの老人のために「雪見橇」を復活させる。30代の青年は「不便だからこそ、人間が歩み寄って、生きていこうという活力があって、その活力が地域を作っていて……国はムラを滅ぼそうとしているけど、そんな流れにもの申すくらいの地域にしたい」
沢内のすごさは、深沢という村長だけに帰するのではない。彼からバトンを受け継いだ人たちがあちこちにいて、核となって、さまざまな活動をしていることにある。
「よい部分だけを撮っている」という批判もありうるだろうが、たかだか1万人の町に10人以上も核となる人間が育っている地域を私は知らない。
残念だったのは、みている人が団塊世代以上ばかりだったこと。上映後のシンポジウムでも、彼らは自分たちの「運動」の訴えをするばかりだったこと。自分らにない、根っこから生えてくるような強さと人を包み込むやさしさをあわせもった人々とスクリーンを通して出会ったのに、自分の枠組みにあてはまる部分しか見ていなかったこと……。そのへんが日本の都会の住民運動の決定的な欠点なんだろうな。
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