■20220611
ヤン・ヨンヒ監督は私と同年代の在日朝鮮人の二世だ。その彼女がみずからの家族を何年もかけて撮ったドキュメンタリー。
父母は朝鮮総連の活動家で、家には金日成らの写真を飾り、監督の兄3人は「帰国事業」で北朝鮮にわたった。
ヨンヒ自身は自称アナキスト。韓国政府も北朝鮮政府にも不信感をもっている。兄3人を北に送ったことをうらんでいる。
母は、北にいる息子や孫たちに、自らは借金しながら仕送りをつづける。そんな母に反発し、大阪・猪飼野の実家を訪ねるのは気が重かった。
父母は北朝鮮の「首領様」をたたえる歌をうたい、革命の歌に涙する。ヨンヒが北朝鮮の悪口を言うことを許さず、「アメリカ人と日本人とは結婚は許さん」と言う。
このように書くと、狂信者一家と思えてしまうのだけど、家での父は亡くなる直前まで明るくゆかいで冗談好き。母は、丸ごとの鶏のなかに青森産のニンニクと朝鮮人参、ナツメなどを詰めこんで5時間煮つめる参鶏湯が得意なやさしい人なのだ。
ヨンヒは、12歳年下の日本人男性と結婚する。家につれていくと母は参鶏湯をつくって歓待してくれる。
外から見たらイデオロギーでガチガチの家なのに、家のなかにはどんな人をもあたたかい気持ちにさせるスープがある。
父母の経歴を追うなかで、1948年の「済州島四・三事件」を知る。左派弾圧で島民数万人が軍や警察に虐殺された事件だ。母の当時の婚約者も、おじも殺されていた。18歳の母は道端に折り重なる死体を見ながら日本への密航船に乗った。その時の韓国政府への恨みが朝鮮総連の活動に突き進む背景になっていた。
母は国籍が「北」だから済州島に長らく帰れなかった。文在寅政権になって訪問できることになったが、すでに認知症が深まり、亡夫や北朝鮮にいる息子と同居していると思いこみ、済州島での記憶もあやふやになっていた。でもそれは虐殺のトラウマを忘れることでもあり、ある意味救いでもある。
スープ、つまり日常を大切にする生き方は、イデオロギーによって引き裂かれた人々をもつなぐことができる。
監督が他人事ではなく一人称で撮りつづけることで、手間暇かけてスープ(日常)をこしらえる大切さがひしひしと伝わってくる。
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