■新・幸福論 近現代の次に来るもの<内山節>新潮選書 20180620
政治も経済も社会も「私」から縁遠くなり、経済発展の先にあったはずの豊かさや幸せも、科学の発展が未来を拓くという期待感も失われた。確かだと思っていたものがどんどん離れていく。筆者aはこれを「遠逃」と呼ぶ。
すべてが逃げていき、不幸ではないけど幸せではない、という虚無だけが残る。それが近現代の終わりを示しているという。
近代は、共同体社会から市民社会へ移行し、国民国家という形をとるようになった。共同体社会では個々人の顔が見える社会だったが、近代は、国民、労働者、資本家といった「人々」を生みだした。
コミュニティの人間関係から個々人を切り離し、国民国家という形に統合しようとしたのがフランス革命などに象徴される近代だった。日本では日露戦争でそれが起き、熱狂のなかで「国民」が形成された。
自らが「人々」にすぎないとう虚無感は、戦争や高度成長といった熱狂によって癒やされる。経済は成長し豊かになるというイメージが、実際に現実化することで、さらにそれが実体化してきた。
それは、先進国が技術や富を独占する体制のなかで可能になった。今、多くの途上国でも自動車を生産し、先進国の優位性はなくなり、経済成長が不可能になり、先進国内でも賃金格差が拡大する。国民国家の基盤が崩れ、近現代を支えてきた「イメージ」が崩れてきたのが今という時代だという。
そういう時代には新しいなにかが生み出されなければならない。それがコミュニティへの回帰であり、「関係」をつむぐようなオルタナティブな経済だという。
現代に蔓延していた「自分のために生きなければ損だ」というイメージに疑問を抱く人も増え、「自分のために生きる」よりも他者のために生きる方が、最終的には自分のためになると考える人々が増えつつある。
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▽30 1970年代、農山村は実は豊かだったのに、取り残されたかのようなイメージがだった。このイメージに包まれて、農村に貧しさを感じていた。封建的な農村、ボス支配の続く農村といったイメージもこの社会を包み込み、このイメージのなかで農村の過疎化は進んでいった。農村の人々を追いつめていったのは、農村の現実ではなく、イメージだった。
▽34 経済発展が豊かに自由にしていくというイメージが高度成長期という時代を包んでいた。豊かさや自由の先に平和があるというイメージもあった。
▽37 1970年代までは、自動車を世界市場で販売できるのは、米国車を生産していたカナダとソ連圏に輸出していたソ連を除けば、米英仏独伊とスウェーデン、、日本の7カ国に過ぎなかった。…この時代、先進国はどこも経済成長を続けていた。先進国が世界の経済的富を独占し、その富を分配し合っていた時代。
▽42 戦前・戦中・戦後に一貫していたのは、多くの人たちが、自分の利益になるように行動していたということ。その生き方が「お国のために」という生き方だった。…戦後は「軍部にだまされた」と語る。…戦中的イメージの世界に包まれながら、多くの人たちは自分の身を守ろうとしていたのではなかったか。そうでなければ戦後のあの変わり身の早さは理解できない。「一夜にしてだれもが民主主義者になった」
…戦中には自己のために全体主義のなかで生きるという個人主義があり、戦後には、自己を被害者にするイメージを確立することによって保身をはかる個人主義があった。
…国家のためと公のためは異なるのに、戦前「国家のため」と「公のため」を同一視したため、戦後は「公のために生きる」ことも否定してしまった。それがむきだしの個人主義を生み出した。自分の利益になるかどうかですべてのを考え、その価値判断にしたがって行動する人々の群を生み出した。
▽61 共同体の結び合いのなかでは「人々」は発生しない。「人々」が発生するには、人間を数量でとらえる社会への転換が必要だった。
…国民国家とは、それまで共同体のメンバーとして暮らしていた人々を、国民としてバラバラにし、国家が一元管理する国家体制。国民という「人々」を形成した。
▽66 日本では、標準語の制定、天皇制を軸とした国民文化の形成がすすめられた。国民意識は日露戦争によって一気に確立されていく。これ以降、自ら「優秀な日本人」を語るようになり、日本人イメージを形成していった。
▽68 家制度の中軸に天皇制をおくことで、共同体社会を破壊しようとした。
▽71 ▽71 労働者という「人々」の発生。
近代の社会は「人々」という群れによって構成される。国においては「国民」、社会においては市民という群れ。その内部には労働者や資本家といった群が存在する。
▽76 虚無的な関係が、自己と国家、社会、経済、企業との間につくられる。近現代という時代は、根源的な不信感を内包しながら展開することになる。根源的には国家や社会も経済や企業も人間たちを統治することができず、人間たちは本気でそれらに従おうとしない。…虚無的な関係を覆い隠すかのように熱狂の時代がつづいた。
…日露戦争 このときの戦勝記念植樹運動によってソメイヨシノが日本中に植えられた。1945年の敗戦が近づくまで、人々は躍進する日本に熱狂していた。
…近現代の人間たちは、現実の世界ではなく、イメージの世界に生きている。イメージのなかに人々を包み込んでいくためには、勝利や前進、進歩や発達という観念が必要なのである。それが実現できなくなれば、根源的な虚無的な関係が姿を見せはじめる。
…若い世代を中心に、自分と国家、自分と社会、自分と経済などの間に虚無的な関係が成立していることを感じる人たちが増えている。
▽118 経済や経済政策の軸が、投資・利子率といった金融の論理に移ってしまっている。金融的論理が通用するのは、供給サイドであって需要サイドではない。需要サイドは、最終的にはそれぞれの生活の論理になるからである。金融的論理が支配する経済では、供給管理による経済成長などという不思議な政策のおかしさに気づかなくなる。金融的論理で供給サイドを律していこうとすれば、効率的な投資が求められ、賃金や雇用の環境はかえって悪化するだろう。
▽123 「人々」の一員として生きることにむなしさをかんじる人たちが、1960年代後半の「反乱」の時代を生んだ。日本でも米国でもドイツでもフランスでも学生運動が盛んになった。…共通していたのは「人々」の一員として、体制の一員になる生き方への嫌悪感だった。フランスでは「存在から実存へ」。
…しかし何が問題なのか本当にはわかっていなかった。だから体制がつくりだす「人々」に対して反逆する「人々」を形成しようとした。近代主義の亜種であるマルクス主義に領導されていた。近現代世界がつくりだす「人々」の群れに対して、それに対抗する新しい「人々」を形成しようとする動きだった。
だが、「人々」を形成しようとすれば、その「人々」の一員でしかない人間たちを生みだしてしまう。
▽138 「人々」でありつづけるしかない時代に虚無を見いだす人たちがつくりだす動きは、地域、コミュニティの再創造、確かな関係によって結ばれた社会の再確立、ともに生きる社会の形成へと向かっている。
▽141 大企業に勤めれば安泰という戦後的常識はすでに虚無化している。国家は暮らしを守ることができるはずだという常識も虚無化した。代議制民主制も虚無化した。
▽150 遠逃現象と虚無が今日の時代のひとつの側面。
「人々」として生きた時代から「それぞれ」として生きる時代への転換。「それぞれ」の生き方を可能にする関係のありかたを模索するという意味では、ローカリズムの時代である。
▽152 近代社会に挫折感を抱いた人々をロマン主義の人々と呼ぶ。「遠逃現象」は近代形成期から芽生えていた。ロマン主義の人たちは、自然回帰派、合理主義批判、神秘主義、オリエンタリズム、近代克服を求める社会主義(ロマン主義から生まれた社会主義の一派)といった潮流を生みだしていく。
▽156 マルクスの「疎外」 人間的労働ではない。現実感のない労働の世界を、自分たちの活動、労働の結果として生みだしてしまう。
…近代社会とは、何か重要なものが失われていくという喪失感のなかに展開した。
▽160 喪失し、疎外されていくのは個という主体であり、そこにヨーロッパの人間主義の立場があった。私の視点はそうではなく、「関係」の喪失にある。
…資本主義のもとでは、労働とともにある関係性が多様性を失っていく。それが総合的な人間の能力の形成を妨げる。…数字的な目標達成や企業のシステムに合わせることが労働になる。資本主義の労働が人間の能力を衰弱させる……
労働と地域、労働と地域文化が結びつかないし、生活においても個別の消費者化が進むから、労働や生活をとおして地域や地域文化、コミュニティや歴史と結ぶことがなくなって、その面でも人間的能力の衰退が進行してしまう。
…自分が保有している関係のなかで自己を形成しているから、自分では能力が衰弱したとは気づかない。自分の能力のなさに気づくのは、新しい関係をつくりはじめたときである。
▽164 …近代形成期にはそれまで大事にしていたものが遠く逃げていくという「遠逃現象」が起きた。今日では、近現代が生みだし、確立したさまざまなものが次第にどうでもいいものになっていくという「遠逃現象」が起こっている。それにともなって、近現代的な幸せ感さえ遠くに逃げていった。
▽168 近現代 私たちは「われわれ」を失って「私」になっていった。この変化を近代における「人間の解放」と呼んだ。
…「われわれ」として語ることのできる社会を、「われわれ」として生きることのできる経済をつくりださなければいけない。
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