■菜園家族の思想 よみがえる小国主義日本<小貫雅男・伊藤恵子> かもがわ出版20161118
高度成長からわずか半世紀で、多くの人々が大地から切り離され、家庭から生産や創造が失われ、都市部の家族は消費だけの存在になってしまった。それはいわば、細胞から細胞質を抜き取り、細胞核と細胞膜だけからなる「干からびた細胞」になったようなものだという。根無し草になってしまった「現代賃金労働者(サラリーマン)家族」にとって、終身雇用という農村共同体的な装いをもった「会社」がコミュニティの代替物だったが、それも21世紀になって破壊された。
根っこを失い、未来への展望が見えなくなり、貧富の差が拡大し、極端な形のナショナリズムやポピュリズムが台頭するようになってきた。
こんな状況を根本的に変革する社会と家族のあり方を「菜園家族」と呼ぶ。
週休「2+α」によって、一般の仕事は4日以内におさめて、それ以外の3〜6日を家族とともに田畑を耕したり、ものづくりに携わったりする。ワークシェアリングすることで失業が減り、大地と根付いた自給的な仕事をすることで、生活に創造性を与えられる。食べものの自給率が高まれば、グローバル市場経済のダメージも受けにくくなる。安定した生活は、平和主義を生みだす基盤にもなる。
敗戦直後、GHQは農地革命によって自作農を養い、安定した社会基盤を形成しようとした。だがそれは高度成長とその後の貿易自由化を通して破壊された。「菜園家族」の構想は、アメリカのニューディーラーたちが夢見た自作農社会の理想も受け継いでいるように見える。
現代の兼業農家は「菜園家族」に近い位置にある。「賃金労働者と生産手段との再結合」をはたすことで、市場に対抗できる、自律的な人間の生存形態へと止揚することが菜園家族の目的だという。
マルクスの描く未来社会は「生産手段の共有化」だった。一部の資本家が独占するのではなく、労働者が共同管理することで資本主義の矛盾を乗り越えられると考えた。だが、「上からの統治」の思想をぬぐえず、独裁体制につながっていった。中米で見た「協同農場」も、事務方の官僚と、上から命令された仕事だけをこなす農業労働者を生みだしてしまっていた。労働者協同組合などの運動も、小規模な組織では機能するが、大規模になると運営が停滞することが多い。
その原因は、家族小経営を軽視し、生産手段を人間から切り離したまま、根無し草同然の賃金労働者を土台においたことにあるという。「家族」や「個人」を軽視した「協同」は、創造性を発揮できず、画一化せざるをえないのだ。
その点、自作農の互助組織としての農協は、旧ソ連の国営農場や協同農場とちがって、独立自営農民の創意工夫を生かせるはずだった。だが合併をくりかえして官僚組織(事務方)が肥大化し、現場の農民の利益ではなく、組織を維持するための組織になってしまった。ただ今でも、婦人部などの活動には古き良き農協の理念が残っていることは覚えておきたい。
個々人がバラバラでは、社会を変革することはできない。社会を変えるには、労働組合や農協、あるいはNPOといった「中間組織」が不可欠だ。でも、理念(=展望)が共有されなければ中間組織は成り立たない。中間組織を成り立たせるための「展望」として、菜園家族構想は大きな意味があるように思えた。
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▽27 2013年のアルジェリア人質事件(すっかり忘れていた。〓9.11は覚えているのに)
「卑劣なテロ行為は、けっして許されるものではなく、断固として非難する」…一方的に断罪するこうした雰囲気が蔓延するほど、国民は軍備増強やむなしとする好戦的で偏狭なナショナリズムにますます陥っていく。…当該現地の民衆が置かれている立場に立って、我が身の本当の姿を照らし出し、この事件を深く考えてみる必要があるのではないか。
▽29 2001年9.11が、世界的規模での不条理への「一揆」のはじまりであった。
▽52 クルーグマン 大々的な金融緩和を提案し、アベノミクスの論拠となった。「流動性の罠」とは利子率が極限まで下がって、通過が滞留する状態。証券類は収益がないから貨幣を証券に投資する意欲をなくし、デフレスパイラルから抜け出せなくなると指摘。クルーグマンは、「将来、インフレが起こる」と国民に確信させることができればこの罠から抜け出すことができると主張する。…インフレ状態にすれば、手持ちの資金が吐き出されて証券投資に向かう。通貨を増やし、通貨価値を下げればインフレになる…と。
▽55 非正規雇用は就労者の4割に。若者世代では半数にもおよぶ。正社員の平均年収は410万円、非正規雇用の平均は110万円。
▽72 地域未来学とも言うべき「革新的地域研究」。生活者としての民衆的生活世界に着目し、それを基軸に据えた21世紀における近代超克の時代要請にこたえうる「地域生態学」とも言うべき新しい研究分野の開拓。(下からの大構図を描く)
▽101 生まれたての人間は、両親への強い依存性を特色とする。人間に特有な「常態化された早産」が、「家族」発生をもたらした。「家族」が人間を人間にした。
▽108 家族は、生産手段からの完全な乖離によって、変質を遂げた。家族の急激な変化と自然の荒廃によって、「未熟な新生児」は人間になることを疎外され、人間の「奇形化」の進行をも余儀なくされていく。
▽144 集落営農は、緊急避難的な対処にすぎない。いずれ、農地の本格的な集約化と大規模化につながっていく。集落営農組織を担っている者自身がすでに60~70代。過重な負担に苦しんでいるケースが多く見られる。
▽仮に大規模経営体が「生き残った」としても、小規模農家が衰退すれば、農村コミュニティは破壊され、森と水と野のリンケージも維持困難に陥る(〓羽咋市の農家の言葉)
▽151 民間企業や公的機関の職場代表、市長レベルの地方自治体、広範な住民代表による、農地とワークのシェアリングのための三者協議会を発足させる必要がある。…三者協定を結ぶ。
…農地を持たないサラリーマンも、自らがすすんでワークシェアをすることによって、公的「農地バンク」を通じて農地の斡旋を受ける。
▽154 オランダモデル 1980年代初頭に高失業率に悩まされた経験から、政労使三者で克服の道を模索し、パートタイム労働の促進によって仕事を分かち合うワークシェアリングへと合意形成を積みかさねてきた。
…フルタイムとパートタイム労働の対等なとりあつかいを求める長年の努力は、1996年に「労働時間差による差別禁止法」の制定へと結実した。
▽155 直接生産者と生産手段との「再結合」によって、おびただしい数の小さな私的生産手段が新たに発生することになるが、当然、これら生産手段の私的所有は、家族が生きていくために必要な限度内に制限されることになる。制限枠がなければ、階層分化が進行し、資本主義へと逆戻りすることにもなりかねない。
▽158 近世の地域社会の系譜を引く共同体組織を基盤に、前近代と近代の融合によって新たに形成される「菜園家族」構想独特の協同組織体を「なりわいとも」と総称。
(農協との類似とちがい〓、農協の先進性は、自営農民の集まりであることにあったはず。それが巨大化をくりかえして、現場から離れてしまった。婦人部の運動には古き良き農協が残っている)
▽163 協同組合の発展を阻害してきた要因を、生産手段とサラリーマンとの再結合による労農一体的な性格を有するこの「菜園家族」を地域社会の基礎単位に導入することによって克服する。
▽168 国民生活に直結する社会保障や教育への公的支出は、資本主義諸国の中でも最低水準。
▽170 職人組合的な「なりわいとも」、同業者組合的な「町・村なりわいとも」、商店街組合的な「町なりわいとも」…(生産する人たちによる「中間団体」の形成。〓希望がないと中間団体は難しい。中間団体がないとポピュリズムに左右される)
▽171 中世都市はギルドによって運営されるようになった…近代資本主義勃興によって、ギルド的産業のシステムは衰退し、…中世・近世によってつちかわれ高度に円熟した、循環型社会のシステムそのものの衰退によるものであった。
▽181 「協同の思想」は20世紀において無残にも打ち砕かれた。成功に導くかぎは、現代賃金労働者と生産手段との再結合によって、「賃金労働者」と「農民」という二重の性格を備えた21世紀独自の新たな人間の社会的生存形態と、家族小経営体としての「茶園家族」を創出することげた。それに基づく協同組織「なりわいとも」によって「地域」を再編すること。(自営の力)
▽209 科学技術も、自然循環型共生の新たな技術体系創出の時代を切り拓くことになる。…伝統工芸や民芸に象徴される、実用的機能美に溢れた聖地で素朴な伝統的技術体系は、自然科学の発展にともなって、人類が到達する新たな知見から再評価されることになるだろう。
…従来の科学技術が、家族と地域という場において、自然に根ざした伝統的なものづくりの技術体系と融合し、質的変化をとげていく条件を獲得することに。
▽212 巨大化し、自然や人間社会との対立物に転化した現代科学技術にかわって、自然環境型共生にふさわしい、…「潤いのある小さな科学技術」が生成・進化していくにつれて、GDPを構成する価値の総体からは、人間にとって不必要なもの、有害なもの…は、次第に取り除かれていくであろう。
▽223 自給自足度の高い、市場原理に対抗する免疫力に優れた「菜園家族」の創出するものが、エネルギー消費総量の大幅削減を可能にし、地球温暖化を食い止め、気候変動による地球環境の破局的危機を回避する決定的な鍵になる。
…「炭素税」で二酸化炭素排出量の抑制に促し…二酸化炭素削減のみならず、同時に次代のあるべき社会の新しい芽(菜園家族)の創出へと自動的に連動していく。
…菜園家族への、支援と併行して、菜園家族群落の核となる中規模専業農家に対しては、農産物の価格保障や所得補償制度を講じる。
▽232「総合10カ年計画」策定が地方自治体に義務づけられた。この計画は、大手コンサルタント会社の主導おもとに作成され、絵に描いたもちとまで揶揄されてきた代物である。住民自らの頭で考え立案したものではない借り物の計画であった。
…自らの地域は、自らの手足でその実態を調査し、自らの頭で考え、自らの知恵で計画を練り上げ、自らの力で構築していくという地方自治の神髄とも言うべき本来の精神を失うことになった。…「選挙」だけに矮小化した「お任せ民主主義」を地域住民の意識のなかに生みだし、それをさらに助長してきた元凶であると言ってもいいのかも知れない。
…甲良町の10カ年計画策定にかかわる。…さまざまなレベルでの町民参画のプロセスを経ながらまとめられた。地域住民の「地域学習」の教科書として活用し…
(〓その結果は? 海士町のように?「地域学習」としての総合計画。地区診断)
▽238 今求められているのは、目先のその場しのぎの対症療法などではなく、衰弱しきった農山漁村と地方の中核都市を全一体的にとらえ、その両者の体質そのものをトータルに根本から変革していく原因療法とでもいうべきもの。(輸入自由化のたびに補助金を与えてだまらせてきた欺瞞。毒饅頭のようなもの。毒饅頭を食らい続けた農協は票田としての力を失い、自民党からも見棄てられようとしている〓幸渕さんの言葉。「農水省に来たらいいことある」という言葉。振興策とリンクという言葉。そういうものから訣別を)
▽240 直面している課題は、社会上部の統治システムの改革などではない。草の根の民主主義をいかにして復活していくかである。「大阪都構想」なるものの指導者は、このことを見誤っている。
▽249 何よりも出発にあるべきものは、自らの地域は、自らの職場は、自らの頭で考え、自らの手で構築していくということ。それは、人類史上長きにわたって大地に根ざし大地に生きる人間が、精神労働と肉体労働が未分離で、統合され調和していた素朴な生活のなかから獲得してきた不動の本源的な原則。…民衆の主体性を愚弄した「上から目線」のアベノミクス「地方創生」などであっていいはずがない。
▽253 憲法の三原則を受け身の形で守るのではなく、民衆の創造的で具体的な実践によって、能動的かつ前向きに憲法の精神を実体化し、豊かにしていく。(ひととき、のとりくみ〓)
▽270サービス部門の付加価値総額の増大の根源的要因には、歴史的には紛れもなく直接生産者と生産手段の分離にはじまる家族機能の著しい衰退がある。
▽280 住民・市民自らが、郷土の「点検・調査・立案」という認識と実践の連続らせん円運動に加わり、粘り強く取り組むこと。
…選挙だけに矮小化され、澱のようにこびりついた「お任せ民主主義」の社会的悪習を排して、自らの足もとから自らの手で自らの主体性を確立していくことなのだ。
▽323 「生産手段の共有化」に対峙するところの「生産手段の再結合」
▽343 日本国憲法のもとではじめて甦る「未発の可能性」としての小国主義。小国主義は、大国主義と闘い、伏流、台頭、再伏流という苦難の水脈を維持しつつ、敗戦・占領という過程で、小国主義を内包した世界に誇る日本国憲法として結実したのである。
▽353 ホセ・ムヒカ
民主主義がすばらしいのは、永遠に未完成で、完璧にもならないからだ。そして、平和的な共生を可能にするからだ。…人類の重要な文化の誕生や発展は、片隅のコミュニティで生まれているんだよ。…大きな変革は小さな村から生まれるんだ。だからこそ、一人ひとりが挑戦することが必要なんだ。
▽361 森孝之「アイトワ12節」
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