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パッチギ <井筒和幸監督>

 暴力の時代。アナーキーの時代のなつかしい京都。
 グループサウンズのマッシュルームカットの日本人の高校生は、フォークの時代がくると髪型もかえる。
 一方、朝鮮高校にかよう荒くれのアンソンは、右翼の不良と喧嘩ざんまいの日々をおくる。
 日本人のやさ男の高校生が荒くれ朝鮮高校生の妹に恋をして……という物語。

 高校の教壇には毛沢東主義を吹聴する教師がいて、京大ではヘルメット学生がつどい、路上で機動隊と衝突し……。当時のアナーキーな世情がまざまざと描かれる。
 暴力がいいとは思わないけど、あのアナーキーさはなつかしくうらやましい。京都はたぶん一種の解放区だったのだ。警察という権力にまっこうからぶつかる学生の群があって、暴力と暴力のはざまに自由な空間が存在した。今は、権力だけが肥大して自由を圧迫してしまっている。
 暴力が肯定されていたからこそ、運動内部の男女差別や陰惨なリンチが生まれたということはわかってはいるのだが……
 「イムジン川」や、「あの素晴らしい愛をもう一度」といった歌が要所要所にながれてじわっとくる。
 朝鮮高の不良学生が報復でぼこぼこにされた帰りに事故で死ぬ。東九条の川沿いのバラックで葬儀がもよおされ、その場にいた主人公の日本人高校生は「出て行け!」と追いだされ、失意の底で「イムジン川」をラジオでうたう。
 なんだろう、この切なさは。この焦燥感は。
 たたかうべき対象が見えないからなのか……。

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■パッチギ! 2025年
 久しぶりに見た。何度も泣いちゃうのは前とおなじ。ただ以前は「アナーキーな昔の京都」にたいするうらやましさと切なさをかんじたけど、今回は、1980年代の俺らの世代の京都とおなじ空気をかんじてしまった。
 三条大橋でギターをたたきわって捨てる主人公のように、おれもAさんの胸をまさぐろうとして拒否されて泣いた。右翼学生と朝鮮高校生が大げんかをくりかえした鴨川デルタで、全身墨でぬりたくって裸踊りをしていた。
 質もはげしさもちがうのだけど、なつかしさがこみあげて、たまらなかった。と同時に、意外におれたちもちゃんと青春していたなぁと思った。

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