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キューバ映画2本

■コマンダンテ 0701

 グアテマラからもニカラグアからアフリカからも、多くの学生がまなびにきている。キューバの獲得したものの大きさがよくわかる。
 カストロとの独占インタビュー。往事の勢いと声のはりはない。老境にはいった革命家は痛々しくもある。だがその徹底した合理主義は首尾一貫している。
 神は信じない。カウンセラーなどに頼ろうとしない。2度人生があっても同じことをしただろう。現実を生き抜いた冒険家の姿である。
 町を歩き、学校をたずねる。「フィデル!」「コマンダンテ!」と人気はあいかわらずだ。
 私生活、とりわけ恋愛関係は話そうとしない。が、最初の結婚以外は「結婚という形式に意味がない」からしておらず、その後数人との「特別の関係」をさりげなく認める。
 清廉というより、革命それじたいが生き甲斐でありつづけた一途な革命家。若いころはバスケットボールなども楽しんだが、忙しさでそれもかなわない。「私は国民の奴隷だ」という。ずるさのかけらもない彼の姿がうつしだされる。
 エリツィンの大酒のみぶりを皮肉り、フルシチョフには親近感をかんじたという。ニクソンは最初に会ったときから、うさんくさい「政治家的な」雰囲気だったという。
 もう少し、私生活がみえてらもっとおもしろかったろうが。

■ゲバラ

 おもしろい。ゲバラボリビアでつかまるまで一緒にたたかった男性の証言がとりわけ重みがあり、新しい事実が次々にでてきて、ひきこまれる。
 医学生時代に南米をバイクで旅して、革命政権のグアテマラをへてメキシコにむかい、そこでフィデルにであう。
 軍医としてグランマ号でキューバに上陸するが、襲撃をうけたとき医薬品を捨てて銃をとる。コマンダンテ(少佐)に任命されて活躍する。革命後、農地改革や産業振興、国立銀行総裁などを歴任する。徹底した社会主義化と、まじめで高潔な人格、革命的人格への向上をもとめる。自分にも他人にも厳しく、ほかの指導部から浮いてしまう。
 たとえば秘書と男女の関係になることをゲバラは禁じた。今でこそパワハラ・セクハラが話題になっているが、ラテンアメリカの、しかもあの時代には、大いに驚かれ、不評をかった。
 国民にはカリスマ的人気があり「神」のように思われたが、政権内の対立によって国外にむけての対外的な「顔」とされる。が、ここでも問題をおこす。アルジェリアでソ連を徹底的に批判する演説をしてしまう。
 それから、彼はキューバから姿を消す。コンゴでたたかう。このときカストロに残した、キューバ国民への「別れの言葉」の手紙を、カストロは公表してしまう。
 ゲバラは、驚き、怒った。死んだ後に公表されることを意図していたのに、こうして「キューバとの別れ」を公表されてしまっては、もう帰ることはできない。
 コンゴでのたたかいに失敗し、孤独にさいなまれた。
 そしてボリビアにむかうが、ボリビア共産党は約束の援助をせず、リクルートされてきた兵士の質も悪く、追いつめられていく。フランスのレジス・ドブレとプルスト?にいたってはすぐに軍に逮捕され、ブルストが描いたゲリラたちの似顔絵や彼らの証言がゲリラを一層追いつめることになる。
 包囲され、「最後のたたかいになるかも」と語りあったあと捕縛され、イゲラ村の小学校につれていかれ、翌朝、射殺された。小学校教師は、射殺のためと思われる銃声をきいていた。前夜、ゲバラらを監視し、語り合ったボリビア軍兵士のインタビューもとっている。
 ドブレの裁判が世界的に反響をよんでいたため、同じことがおきることをおそれた軍がゲバラ抹殺を指示したとされているという。
 悲劇的な最後だった。が、もし生きて政治的な権力をにぎっていたら、キューバはもっと怖い国になっていただろう。革命直後にゲバラが躊躇なく実施した旧政権関係者の処刑の風景は、彼の冷たさを思わせる。純粋さゆえに権力者になってはいけない人だった。
 あそこで死んだからこそ、英雄でありつづけることができた。
 その点、カストロははるかに現実主義者であり、妥協のできる人物だったことがよくわかる。

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