人々は時間をどうとらえてきたか、ではなく、時間はどのようなものとして存在しているか、を論じる。時間は絶対的な物ではない、と。
子どもの時間はけっして等速ではなかった、という。なるほど。台風後の川の土手で時間を持て余して延々と時間がたたなかった記憶。そこから時間は等速ではないという結論を導けるとは。
村の時間は直線的ではなく循環する。1年たつと春がまた訪れる、山の木々は50年100年単位で時間が巡る。川の流れと関係を結ぶ、畑と関係を結ぶ、山と関係を結ぶ。……他者と関係を結びながら創造されるのが村の時間という。そういう時間は護岸工事がされていない川の流れのように速くなったり遅くなったりする。自然と人間によって共有された循環する時間は、循環するが故に永遠の時間なのだ。
一方、村の外での賃仕事、あるいは都市を支配するのは直線的な「消費されていく時間」だ。複雑で多様な循環する時間が一直線の時間に置き換わることで、資本主義が発展した。縦軸の時間世界を中心に社会が形成されることで、円環時間に身を置くことは停滞だと感じられるようになった。
「農業は損をする」という言葉は、農業が賃労働と同じに位置づけられ、労働時間あたりの収入が問題にされはじめたことを意味していた。縦軸の時間に組みこまれていった。コルホーズの失敗の遠因は農の時間の喪失にあるのかもしれない。
同窓会で現役時代は出世した人ほど勢いがあるが、60歳をすぎると、縦軸の時間世界で働いていた人たちが元気を失う。村で定年を迎えた者たちにとっては、定年は山里時間への回帰としての意味をもつ。
円環の時間は、死にも救いを与える。
直線的な時間に身を置くと人間の一生は有限に見えるが、関係によってつくられる円環時間は、生と死を繰り返す時間世界を保持することによって、永遠性を手に入れていた。
亡くなろうとしている人と見送ろうとしている人の双方が死を諒解すれば幸福な臨終を迎えられる。このとき交わされるのは「先に往って待ってる」とか「私もすぐ往くから待っててね」というような会話だ。死後の世界が共有され、死後の世界にとっては過去も現在も未来もない。死後の世界を共有する現在があるだけという時間世界が「死」による別れを円環のひとつと理解させてくれるという。
今求められるのは、関係によってつくられる時間存在を、自己の存在として確立することだという。それによってはじめて近代的な疎外の問題を克服することができると結論づける。
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▽17 小さいころの私は、死は恐怖だった。ところが十代にはいったころに恐怖は消えた。死ぬまで生きなければならない鬱陶しさが現れてきた。
▽18 循環する時間に接しているうちに、子どものころの死の恐怖も、生の時間の鬱陶しさも、時間を個人のものにした近・現代人のものにすぎない、と知るようになった。共同体を離脱した人間たちに必然的に現れる時間の貧しさだったのである。
(〓共同体の時間を体に取り戻すには? 永遠を感じられるようになるには?)
▽22 昔の川はゆらぎがあった。コンクリートの用水になると均一の速度で流れる場になった。…近代以前の村落共同体が中心になっておこなった河川改修と、明治中期以降の近代的改修とではその思想が異なっている。…川の水が海に流れこむまでの時間を長引かせることによって…氾濫を予定している堤の外側には林や藪がつくられ、堤を越えた水はそのなかを通過するとき土砂や流木を取り除かれ…。
▽41 同窓会。仕事の責任が重い人ほど勢いがある。ところが60歳をすぎると、縦軸の時間世界で働いていた人たちが元気を失い、農民はときに羨望の目で見られるようになった。
…村に帰ってきた青年たちは、縦軸の時間によって形成された人間の存在のもろさを感じとった人々である。
▽48 補助金を出して火葬を進めるし、座棺が手に入らなくなった。山の斜面に寝棺を埋める穴を掘るのは大変で…
▽「この村は日本で一番よいところだ」「私は村から一度も出たことないから、それはまちがいないことだと思うよ」
▽62 マルクスらの共同体理解 土地と人間との直接的な結合が共同体の基礎であり、人間は自然からも共同体からも自立することができないままに暮らしている。
…時間論の視点から見れば、共同体社会は横軸の時間、すなわち回帰する時間世界のなかに展開していた。…その意味では共同体は「停滞」「安定」社会だった。時間循環の世界。
…現在の私たちの時間は、過去から未来へと向かう直線的な時間世界に主導されている。この直線時間を自然に適用しようとしてもうまくいかない。
…人間は、直線的な時間を確立することによって、円環の運動をする自然の時間世界から自立したのである。
▽66 農家は自家消費用の作物は、自分が必要としている量の2倍つくるのが自然の習慣で、余った分は知人に配ったり……この豊かな秋は、作物を商品にしないことに大きく支えられている。…出荷した瞬間に豊かな畑は貧しい畑に変わってしまう。(直売所の功罪〓)
…商品生産に変わった瞬間に、時間は生産期間という縦軸の時間、直線的な時間が支配するようになる。
▽71 林業の破綻は、林業を通して得られる剰余価値率が銀行金利を下回っていることから発生している。
▽77 商品の生産過程の成立は、時間世界を大きく変えた。時間は商品の持つ価値形成のための時間になった。文化とは、その社会のなかにどんな時間世界が存在しているか、という形で見ることができる。山里の文化を支えたのは、山里の時間の存在である。
▽92「農業は損をする」という言葉。土木工事などに出た方がカネになる…。農業は賃労働ではないのにかかわらず、賃労働と同じように位置づけられた。労働時間あたりの収入が問題にされはじめたときから、農業も合理的経営の世界に入っていった。
(〓程原の失敗。コルホーズの失敗)
▽93 伝統社会の村人は、生と死が繰り返し循環する時間世界を保持することによって、永遠性を手に入れていた。直線的な時間に身を置いてみると、人間の一生も有限に見えてくる。一生を合理的に経営するという新しい感覚を生み出す。
▽95 山村は賃労働が合ったから、縦軸と横軸の二重の時間世界。農村は、商品経済の浸透をほとんど受けることのない時空が保存されてきた。その結果、商品経済が浸透すると、農村は劇的な変動を遂げた。合理性は、山村よりずっと急激に社会を支配していった。山村よりはるかに徹底した農村社会の崩壊を目の前にしている。
▽100 伝統的な家は、職と住、仕事と暮らしが境界線をもたないつくりになっていた。家と人間の関係が変わってしまうと、建築年数に関係なく家は古くなっていく。
▽107 都市のサラリーマンの定年のよろこびは、解放・自由という言葉で表現される。村の定年を迎えた者たちにとっては、解放や自由は、山里時間への回帰としての意味をもっている。「畑仕事や山仕事から離れたおかげで、定年後は畑仕事や山仕事に戻れるのです」
▽120 意識を媒介とした時間に、時間の本質があるのではない。時間は存在する。固有の動きをもつものとしてではない。時間を存在させるものは関係だからである。山里に存在している時間は、山里に成立しているさまざまな関係がつくりだしているように。
(直線的な)時間の合理性は、現代社会の基礎になった。
▽144 テーラーやフォードが理想とした、労働者が命じられた単純作業だけをすればよい工場、時計の時間だけが支配する工場が生まれていたら、それは完璧な労働管理ではあっても、資本制商品生産の躍進力も喪失させることになる。
▽164 「経済学・哲学草稿」は、労働の本質や人間の本質が喪失していくという1960年代の感覚のなかで読まれた。
…マルクスの疎外論は、精神的にも物質的にも労働や生活の行為そのものも、つまらなく、貧しくなっていく労働者の姿。ところが1960年代の感覚は、金銭的繁栄の裏に潜む喪失であり、一見すると自由に何でもできる社会のなかで、本当は自分たちは、この社会の枠組みの内部で、管理されながら生きているだけではないかという感覚だった。それは精神と存在の空洞感。マルクス哲学より実存哲学の方に近かったにちがいない。
…1950年代後半からはじまる技術革新以前には、職人的な生産方法が存続していた。商品の生産過程のつくりだす時間世界と、労働生産物をつくりだしていく労働過程の時間世界は分離しながらも、ある種の均衡を保っていた。
……時間秩序のなかに身を置けば置くほど、人間の主体は喪失していくように見えた。
…1960年代、新しい時間秩序が日本型市民社会とともに完成していったとき、人間に固有の時間世界の喪失を、それゆえに、人間的な存在の喪失を感じていた。その内容を、人間が疎外されていくと表現させたのである。
▽172 近代的市民社会がつくられていく過程は、協同的な関係によって時間が作られていく時代から、個人の時間が確立していく時代への転換であった。このときから私たちは、自分だけの固有の時間を確立した。自分の責任で自分の一生を管理していかなければならなくなった。だれもが直線的な時間を見ながら、圧迫され恐怖を覚え追いかけられながら生きていくようになった。
▽174 国民という新しい概念を発生させることによって生まれた近代国民国家は、国民の時間世界を統一し、そのことによって合理的な国家運営を可能にすることによって成立したのではないか。(こよみが変わり、旧暦が消え…〓満月の意味と関係が薄れ…)
…関係を通して時間が作られていくとき成立する時間の共同所有関係がなくなり、時間は個別的なものに変容した。時間存在の世界は孤独なものに変わった。
▽189 上野村の若い農民に言わせると、この村は水田が一枚もなく、農地が狭いことが幸いした。戦後の農業政策は上野村を相手にしなかった。農業に労働時間の経済価値を確立しようとする農業近代化は、この村では実現しなかった。結果として伝統的な農民の暮らしを持続させた。まず農業は自家消費用の作物をつくる。第2にその作物は、山村社会のなかで分配される。そのうえで換金作物がつくられる。(内子のからり〓)
▽194 時間の客観化と統一は、近代社会の基盤だった。人々は伝統的な時間世界から離脱し、合理的な時間世界へと住み移らなければならなかった。
▽199 上野村で新年を迎えるようになったのは、20歳をすぎたころから。大晦日。「よいお歳取りを迎えて下さいよ」。日本にはたんじょうびを祝うという習慣はなかったから、新年を迎えると、誰もが1歳歳を取る。
▽206 かつての職人の世界がもっていた関係の世界も、その職人仕事と結びついた時間世界も失われていた。存在の喪失、あるいは現実性をはく離された存在としての疎外はこのことのなかに発生する。(職人的な関係の世界が組合運動の強さも下支えしていた〓)
…畑仕事から湧き出てくる楽しみとは、畑仕事と共に展開する関係の世界がつくりだすものである。第一に自然との関係のなかから、さまざまな楽しみがわきだしてくる。第2に、村人との関係のなかからも、楽しみをわき出させてくれる。ここでは、仕事それ自体が、固有の価値をもっているのではないのである。〓〓
もし畑仕事に固有の価値を求めようとすれば、それは作物を得るということ意外にはなく、それは採算の合わない行為である。
…自分の労働に価値があるかないかを考え、そのことが働きがいと結ばれる。自分の労働の価値を自己確認しなければならなくなった時代そのもののなかに、現代の労働の問題性がある。……
…労働のいとぐちが、時計の時間を基準とする時間労働に置かれているかぎり、労働の意味は曖昧でありつづけるだろう。
…経済価値を越えた労働の世界をつくりだすものは、山里の労働がそうであるように、関係性と共同性、あるいは共有された時空である。
▽212 私たちは時計の時間に身をゆだねながら、しかし自分自身に与えられた時間は、自分だけの孤独な時間として理解するしかなくなったのである。。その必然的な結果としての孤独な死、時間の孤独な終焉。
▽215 近代個人は、一面で独立し自律した自由な個人であった。ところがもう一つの面では、すべての事柄を自分の責任で判断し、たった一人の力で社会に立ち向かわなければならない裸の個人でもあった。孤立していて、孤独で、不安のなかに投げ込まれた近代的大衆でもあった。
▽218 近代的個人とは、二重の意味で根無し草の大衆になったのである。第一に自分の時勘が私的に浮遊する時間になったという意味において、第二にその私的な時間を維持するための他者との関係が成立せず、自分の時間を取り引きしながら一人ひとりの時間が成立する孤独な自己という意味において。
▽224 近代的な個人の確立とは、その個人が固有の時間を確立することであった。固有の自律が、近代人の自律の意味でもあった。
▽232 これまでの思想は、その内部に時間の思想を包みこむ努力を欠いてきた。
…マルクス流の表現を借りれば、近代的な時間秩序が土台にあって、この土台の上に人間の存在をも包みこんだ構造が上部構造としてつくられている。
…
▽235 自然との共同性のなかにつくられていた時間や、村の共同性とともにあった時間が、近代的な時間によって突き崩されていく過程であった。その結果つくられた時間の平準化された社会は、その時間秩序によって構造化された世界に、私たちを閉じ込めたのである。
▽236 自然や人間との新しい関係を築くことによって、その関係とともにつくられる新しい時空を創造しようと考えるのである。
▽238 ウェーバーが資本主義の精神として解いたのは、時間に対する誠実な精神であり、勤勉な精神であった。等速で過ぎ去りつづける時間に対して、誠実で勤勉に対応することのなかに、近代的市民の精神が芽生えたいたことを示している。
社会主義思想も、近代社会の時間概念を止揚せぬまま、その時間概念の上に社会主義社会という新しい構造を主張している。この思想もまたヨーロッパがつくりだした近代思想の枠を克服できなかった。
私たちは、関係とともにある時間への誠実なる精神と行動を取り戻していかなければならない。
▽242 近代社会は長い時間を支えるシステムを失っている。短い時間しか責任を負えなくなった社会と、長い時間を必要とする森の物語、その不調和が荒廃の基礎にはある。
近代化の歴史は、かつての伝統社会が持っていた長い時間を支えるシステムを変革の対象に据えながら、自らはそれに変わる長い時間支える方法を創造して来なかった。
▽254 この本のなかで私が目指したことは、時間を客観的秩序から関係的存在へと転換させることであった。時間を客観的秩序として統一することによって、人間の存在を平準化させ、その支配下においた近代以降の私たちの社会をとらえながら、時間の解放を軸に刷る人間の解放を視野に収めることであった。
▽266 過去・現在・未来 修験道では過去もまた救済の対象として存在している。
▽268 上野村ではまだ元気なうちから「そろそろ」という会話が交わされていたりする。しかもそういう会話が交わされるようになると、元気だった人もたいてい1年以内に亡くなるのである。
▽270 過去は過ぎ去った時間ではなく、現在のなかに存在している。…村の昔話は、いまはない過ぎ去った過去の話ではなく、今の何かを照射する話なのである。過去が現在のなかにあり、現在が過去をつくりだしている。
▽273 過去・現在・未来のすべてが現在としてとらえられている。
幸福な臨終を迎えるためには二つの諒解が必要になる。ひとつは亡くなろうとしている人が死を諒解すること。もうひとつは見送ろうとしている人が死を諒解すること。この共有が生まれているとき交わされる会話は、たぶんひとつしかない。「先に往って待ってる」とか「私もすぐ往くから待っててね」というような会話である。死後の世界が存在し、その世界が共有され、死後の世界にとっては過去も現在も未来もない。死後の世界を共有する現在があるだけである。
…死という未来は死後という現在をつくりだし、その現在が過去に変容して次の世代の現在を支えることになる。ここには何も消えていない世界があり、ここにこそ共同体の死生観の世界があるといってもよい。…過去が未来をつくり、未来が過去に変容しながら、そのすべてが現在のなかにありつづけるという、永遠の生命存在の世界を意味している。
▽302 人間にとって大事なものは、合理的なものでも効率のよいものでもなかったのである。たとえば、楽しいとかうれしい、悲しい、寂しい、といった感情は、合理的に説明することなどできない。人間の基本的なところが、合理的な形ではつくられていないことを示している。それなのに合理的に自分の役割を定めて暮らしていこうとすれば、非合理的人間の側面は、常に存在の喪失感を味わうことになる。
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