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草の根 農健懇500回特集号

■草の根 農健懇500回特集号 2015/01/14
稲葉峯雄先生を中心に、愛媛県で1967年から月1回開かれていた農村健康問題懇談会が2013年、500回で幕を閉じた。
10人程度の小さな集まりだ。愛媛にいた当時、何十年と継続していることには驚いたが、それがどれだけ大きな意味のある実践であるか、今から思うと理解できていなかった。
「農村の健康問題」という言葉だけを見て、地域医療と福祉関係者の集まり、という程度のイメージしかもてなかったためだ。
稲葉先生がハンセン病にかかわりはじめた当初も、なぜそれほど執着するのかわからなかった。
あれだけ地域をくまなく訪ねてまわった先生でさえも「ハンセン病が見えなかった」という重みは愛媛を離れて、本を書くために稲葉先生の歩みをたどってみてはじめてわかるようになってきた。先生でさえ見えなかった差別の重層構造を知り、ハンセン病がこの国の歴史のなかに占める重みを知って、なぜあのとき、もう少しかかわらなかったのかと後悔した。

当時は、「ふつうの人びと」が「つどう」ことの意義も今思うと理解できていなかった。
労組や農協といった中間団体が弱体化して個々人がばらばらになり、極端から極端へとぶれる危険な政治状況ができてきた。それが顕著に見えたのは小泉の郵政選挙あたりからだ。そうなってはじめて、人間がグループのなかで語り合うことの大切さ、個々人ではなく中間団体として社会に向き合うことの意味を実感できるようになった。
農協や労組などの中間団体にはボス支配という問題がある。だがそんななかでも、平等の立場で語り合う民主主義の芽のような動きもちらほらとは見られた。その意義を以前の私は過小評価していた。
「農健懇は民主主義の基本的な原型として、個人の尊厳と自由、平等の原理をまちの片隅で話し合いと通じて実践し守りつづける場である」と稲葉先生はいう。個々人がバラバラの社会では民主主義は育たない。人と人がつながり、語り合うなかでしか成長しないのだ。
「農村が健康であれば社会全体が健康である」と稲葉先生は言った。「農民の健康問題」という狭いテーマではなく、社会全体のあり方を追い求めていた。だから農健懇で取り上げるのは、環境や労働、憲法、平和、文学など多岐にわたった。社会全体のあり方が健康でなければ、個々人の健康もなりたたないという思いがその基盤にある。
だとしたら、農村の暮らしと自立の基盤が崩れてしまった今、社会全体の存立基盤が危ういのではないか。そんな問題意識をもとに、農村が人間の幸福に対して果たしてきて役割と、それが消えてしまう社会の問題点を突き詰めて考えなくてはいけない。そう思わせられる。

農健懇の進行は、自己紹介と近況報告→本の紹介→主論、というパターンだったという。参加者一人ひとりが自分を語る時間をつくるためだ。最近はやりのワークショップのような、進行方法のマニュアルはなかった。
稲葉先生が取り組んだ地区診断も農健懇も、模倣すべきモデルやマニュアルはない。お互いの話をじっくり聞きあい、語り合うなかで、課題や行動が生まれる場だった。
コーディネートする人間は、「自分」を主張してはいけない。自分を捨てて虚心坦懐に耳を傾けなければならない。でも自分を捨てるためには「自分」をもっていなければならない。そう稲番先生が語っていたのを思い出した。
その言葉をはじめて聞いたとき、記者のあるべき姿と同じだと思った。社会の事象を勉強しつづけて問題意識をもたなければ大事な問題を見逃してしまう。でも、問題意識にとらわれすぎれば、「その人」にしか語れない、他人には想像もつかないような核心部分をとらえることはできない。

広田村の独居老人友の会は、農健懇の活動で高齢者の声を聞く調査をしたのをきっかけに結成された。当時の保健師佐伯さんは「自分なりに高齢者のニーズをつかんでいると思っていたが、まったくそうでなかったことに気づいた」と記していた。
わかったつもり、聞いたつもり、ではいけない。自分のもつ認識の枠組みをいったん捨てて耳を傾けなければならない。医療や福祉関係者がそれぞれの認識枠組みを壊し、まっさらな心で地区を理解するのが地区診断の目的のひとつだったのだろう。
佐伯保健師は、東京都の老人総合研究所が作成した高齢者福祉のプログラムに取り組んだが「えらい人の作ったもの(調査項目)は役にたたない」と書いていた。
佐伯さんの言葉は、「専門家」や上司から与えられたマニュアルではなく、現場の老人から学んできたからこそ生まれた。稲葉先生はつとめていた老人ホームを「人間学校」と呼んでいた。学ぶべきは専門家や政府にあるのではなく、現場にこそある、という強烈な意思表示だった。だからこそ、福祉ボランティアや介護保険で「この指とまれ」「マニュアルづくり」が流行していることを批判しつづけていたのだろう。
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▽丹原の永井民枝さん
▽棚田サミット 内子町でも運動が。高須賀
▽宮岡徳男・内子町議 介護保険事業を町と社協が民間に丸投げ委託した時に農健懇に参加して地区集会や調査をした。
▽鈴木静 2011年、岡山県備前市で地区診断方式で調査をした。地区診断活動を通して関係がよくなり、今では町内会が主体となって地域活動をするようになった。
▽安岡千恵子(宇和島市・保健師) 宇和島市は稲葉先生とのつながりが強く、公民館活動が残っている。今回、久しぶりに地区診断に取り組み、これが保健師活動の基礎だと感じだ。
▽宮内清子(県立医療技術大学) 平成20年2月7日に稲葉先生が特別講義。三瓶町蔵貫浦の地区診断。「健康な町にするにはどうしたらよいか」 組集会を定期的にもち、組の一人ひとりの意見を反映した活動計画をたてる。活動母体としての部落組織「健康づくり推進協議会」をつくり…。
…住民の力を信じ、徹底した対話のなかから生活に密着した活動方策を練り、実践に結びつけていく地区診断活動のプロセスは、現在の地域保健福祉の現場においても、揺らぐことなく活用できる。
▽大泉勝 ガリラヤ荘だよりを通して稲葉先生と出会った。ガリラヤの実践は、全国の老人ホーム広報紙の普及に大きな影響を与えた。私が28年間かかわった「敬愛園だより」もそのひとつ。「人間学校」の理念。(書くことで学ぶ。)
▽大野千恵子 平成20年4月23日、病室で苦しい呼吸をされていた。つぎの3つのことを話され、これが先生からの最後の教えとなった。福祉はソーシャルワークにはじまり、ソーシャルワークに終わる。生きる限り、小さくてもよいがテーマがいる〓。暮らしの現場の話し合いのなかで記録が意味をもつ。〓
独居高齢者世帯実態調査(平成8年、205世帯)女性たちは「いまが青春」「いまが一番幸せ」
…地区診断を通して、公民館主事が中心になり、調理教室の主婦の皆さんの協力で会食会「むつみ会」が発足し8年余りつづいた。やがてそれは子どもを交えた町内の行事になっていく。民生委員、地区社会福祉協議会が中心となって、町内単位で「ふれあいお食事会」がもたれるようになった。
…特養で働き始めたおり「ナースキャップを脱ぐといいんだがな」と(稲葉先生に)いわれた言葉を理解するにも、長い時間が必要でした。
▽広田村・佐伯 広田の頃は何もかもまかせてと自信をもっていたのが、合併後はみえなくなって体調を崩した。…調査でわかったのは、きちっとした聞き取りのなかで、改めてご本人の考えや不安を聞くことの大切さ。聞き取り調査からは、切実な独居高齢者の生活や孤立しがちな状況が浮かび上がってきた。
▽冨永泰行 「地域社会史論」は1951年、愛媛大に着任した篠崎勝先生を中心に理論化した地域史の研究方法と理論〓「ここに生き、住み、働き、学び、たたかい、ここを変える」
普通の住民が歴史の学習や実践を通じて研究者に成長することの重要性を強調した。…住民の学舎である近代史文庫を創設し、愛媛の労働者・民衆の歴史を、住民を主体にして記録しつづけて生涯を終えました。
…私はいつか老人ホームを「人間学校」だと思うようになった…老人ホームの処遇とは第一に、老人を知ること。知るためには記録が要る。老人と家族と地域にどんな橋が架けられてきたか、反省してみる必要がある。
…篠崎先生と稲葉先生に共通する考え方。
▽永井民枝「これからの百姓女は、黙って働くだけが芸じゃない。外へ出て勉強してこい」という後押しがあって農健懇に参加できました。 皆様との交流は私にとっては大きな財産です。

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