■20230307
気仙沼市の唐桑半島にある鮪立(しびたち)という漁村はマグロ漁で繁栄し、「唐桑御殿」とよばれる豪勢な屋敷がたちならんだ。そんな豊かな漁村は2011年3月11日の東日本大震災の津波で壊滅する。
主人公の菅野一代さんの唐桑御殿も「全壊」判定をうけた。
だが天井をはずし、こわれた壁をはずし、なんとか泊まれるようにして、ボランティアの学生の宿泊場所になり、鮪(まぐろ)+菅野を略して「つなかん」と呼ばれる。学生たちとふれあううちに、つぶすつもりだった家を残そうと一代さんは決意する。
一代さんと夫は、牡蠣やホタテの養殖、ワカメ漁などで生計を立ててきた。広島の漁師の支援でカキ養殖を復活し、「つなかん」を民宿にして、客にはカキ養殖の体験をしてもらう。
「震災後の数日は海を見るのもこわかったけど、1週間もしたら海っていいなあと思うようになった。お客さんにも美しい海を見てほしい」
ボランティアでおとずれた若者が移住してくる。唐桑は移住者の多い漁村として有名になっていく。新しい人間の絆がはぐくまれてハッピーエンドなんだろうな、あっさりしたドキュメンタリーだなと思っていた上映開始50分後、突如雰囲気は暗転する。
2017年、震災をはるかに超える悲劇が一代さんを襲う。
そして、牡蠣養殖をやめ、筏を手放し、民宿も休業する。民宿は数カ月後に再開するが、一代さんは「つなかん」からほとんど外に出なくなった。
「息をするのもつらい」。民宿はいとなむが、2年3年たっても「もう海は二度と見たくない」と言う。
その悲劇は映画を見ている側にも衝撃だった。胸がしめつけられて息をするのもつらくなる。
震災から10年、悲劇から4年たって一代さんはやっと前を向く。
「今まではみんなが来てくれてささえてくれた。コロナでそれもできなくなったけど、今度は自分から会いに行く」
何年かぶりに唐桑をでて東京にでかける。つぎつぎに襲う悲惨なできごとを経た一代さんはこう話す。
「よいこともつらいことも、意味のないことはひとつもなかった」
ナチスの強制収容所に収容され、家族を殺されてひとり生き残ったヴィクトール・フランクル。かれが戦後「人生はどんな状況でも意味がある」と言ったのを思いだした。
すごいなあ、人間って。
いつか一代さんに会ってみたい。
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