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熊野古道・紀伊路5 紀伊内原〜西御坊

紀伊内原駅を9:38に出発。踏切をわたって古道に合流し、山際をたどる。いまのまちは、昔は湿地だったから、古道は安定した山際についたのだろう。古道のあるところは災害にも強そうだ。

紀伊内原〜善童子王子ため池-1

山際だから、ため池がいくつもある。
右手の鎮守の森が善童子王子神社だった。

紀伊内原〜善童子王子-10

秀吉の紀州攻め後におとろえ、明治になって湯川神社に合祀された。木の小さな祠があり、裏は照葉樹の森だ。

愛徳山王子まで-竹やぶ往復-10

市道をたどり、案内板にしたがって、民家と民家のあいだの小道を入る。200メートルほどで細い竹が密生するやぶになる。

愛徳山王子まで-竹やぶ往復-6

ザザーッとざわめき、竹による無数の直線に、ななめに太陽の光が差し込んで、万華鏡のなかにいるようだ。。竹のトンネルをしばらく歩くと、愛徳山王子跡に着いた。

愛徳山王子まで-竹やぶ往復-4

なぜここ(北吉田区)に竹林が残っていて、そのなかに王子があるのだろう。竹工芸の文化か信仰があるのだろうか。

吉田八幡神社まで-7

10:45、宮子姫伝説が伝わる吉田八幡神社。髪が生えない女の子が、母親が海中の観音様を陸に揚げたことで黒髪が生え、鳥が運んだ黒髪を見た藤原不比等が養女に迎え、文武天皇の后になったという伝説だ。「宮子に長く美しい黒髪を与えた観音様をまつる寺を建立せよ」と天皇が命じて道成寺ができたという。
道路の右手に鳥居があり巨木がある暗い山に向けて長い石段がある。2,300メートルのぼると、手水鉢に水があふれている。本殿はヒノキの森に囲まれていた。

吉田八幡神社まで-4

田んぼを挟んだ反対側の丘の上に道成寺がある。

道成寺まで-2

境内はサクラが咲き始めている。しだれ桜はほぼ見ごろだ。室町時代の1378年に建てられた本堂は重要文化財という。

道成寺まで-6

団体客が多い。清姫の話で有名だが、資料館は混んでいるから入らなかった。

道成寺まで-7

参道には土産物屋がならんでいる。
さっきの神社の近くまでもどって、左に折れた踏切の手前に「海士王子跡」があった。

海士王子まで-3

踏切を越えて湯川中学へ。その裏にある鎮守の森に引き寄せられた。

湯川子安神社まで-6

「湯川子安神社」安産の社という。祭神は木花咲耶姫。本堂の向かって左に、巨大なクスノキがある。幹廻り8メートル、高さ15メートル、樹齢千年と推定されるらしい。

湯川子安神社まで-10

うねうねとして今にも動き出しそう。

湯川子安神社まで-13

地霊の力を感じさせる。そのためか根元には祠がある。

湯川子安神社まで-14

湯川神社は、湯川氏の館の跡だという。

湯川子安神社まで-16

農村集落だが、田んぼをつぶしたと思われる土地に新しい住宅地が開かれている。
昔の集落は、地霊のありそうなところに祠をつくり、川や丘になじむように道をつくり、家をたてた。だから心地よい空間ができた。新興住宅地はブルドーザーで土地を造成し、碁盤の目か、あるいは、方向感覚が狂ってしまうような不自然な曲線道路をつくりだす。このあたりは双方の要素が入っているから、その違いがよくわかる。昔の土地の見方を生かす住宅地づくりはできないのだろうか。

石敢當まで-5石敢當まで-6

「少し寄り道してみませんか」という案内板に「石敢當」のことが書いてあった。沖縄や奄美にはあるが、まさかここにも? 和歌山県ではここにだけ3基あり、そのうち2基が今もこの集落に残っているという。ひとつは、家のブロック塀の下にあけた穴に鎮座していた。角の取れた岩に「石敢…」と記されている。そこから1ブロック離れたところには、もう少し大きな高さ30センチほどの四角柱のものがあった。

石敢當まで-9

大根の花は白、白菜の菜の花は黄色。それがならんで咲いている。

白菜と大根菜の花-1

まもなく九品寺(浄土宗)。

日高川野口新橋まで-4

12:09、日高川の橋のたもとについた。大河だ。これをわたるのは大変だったろう。対岸に渡って、左岸の土手を歩きながら、メロンパンを食べた。

岩内王子(焼芝)まで-5

岩内王子(焼芝)まで-6

まもなく左手の集落におりる。岩内1号墳まで0.5キロという看板があるが、往復1キロはちょっときびしい。

岩内王子(焼芝)まで-8

岩内コミュニティー会館の前に「焼芝王子神社旧跡の碑」があった。これが岩田王子跡だ。明治期に熊野神社に合祀された。
車もめったに通らない集落の道なのに、野菜の無人販売スタンドが2,3カ所もあり、菜っ葉や大根、カブをならべている。新しい住宅が増えているから、その新住民たちが買うのかもしれない。農村集落と新興住宅が混在するからこそできた風景なのだろう。
ブロッコリーの菜の花が黄色くてかわいい。
高台の昔ながらの集落を抜けると河南中。新興住宅団地に入ると、古道がわかりにくい。

圓満寺まで-14

団地のはずれから土道をたどって、集落のなかの細い路地をたどる。

圓満寺まで-16

浄土真宗「圓満寺」〓。あらら。
13:29、左手に鎮守の森があり、鳥居の前に「美人王子」と染め抜かれた赤と紫ののぼりがはためいていた。塩屋王子神社だ。

塩屋王子神社まで-5

この社叢は「沿海温暖の天然林を代表する」として市文化財に指定されている。200年以上の老木がたくさんあるという。

塩屋王子神社まで-12

塩屋の名前は、昔製塩をやっていたからだ。製塩土器が出土している。石段をのぼる。境内にはナギやイスの木、ヤマモモの老木も。

塩屋王子神社まで-16

クスは樹齢250年という。
海沿いの国道をもどることにした。はまゆう群生地がある。

日高川河口付近-9

日高川の最下流の橋をよしの原っぱを眺めんがら渡ると、使われずさびついた線路があった。紀州鉄道は、川まで伸びていたのだろうか。

紀州鉄道廃線-1

14:26、西御坊駅。黒い板張りの古風な駅舎は昭和6年に開業した。

紀州鉄道西御坊駅-2

次の電車は40分後だから、JR御坊駅まで2.9キロを歩くことにした。15時、御坊駅着。きょうの歩行距離は20.6キロ。(20160326)

(つづく)

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