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発明家・安藤百福と経営の天才・小林一三発明家・安藤百福と経営の天才・小林一三の足跡を池田にたどる

 大阪府池田市のカップヌードルミュージアムへ。
 駅から歩いて5分ほど。入場無料。
 戦後直後、みんなが飢えていた時代、だれもが食べられるラーメンをつくろうと、安藤百福が1958年にチキンラーメンを発売した。油で揚げて乾燥させ、お湯を注ぐだけ、という画期的な食品だった。
 インスタント食品はテレビとともに成長し、1960年頃にできたスーパーの店頭にならんだ。ならべやすく衛生的でスーパーにピッタリだった。
 百福がアメリカ人にチキンラーメンを提供したら、マグカップに入れてフォークで食べた。それを見て、片手でもてる容器にしてフォークで食べるようにしたら世界に広まるのでは?と思いついた。
 軽くて冷めにくい発泡スチロール。当時は魚を保管する箱にしか使われていなかったから自分でカップをつくった。
 カップにぴったりのサイズの麵の塊を揚げる方法を工夫し、海老などの具はフリーズドライにした。
 カップに麵の塊をおとしたらころがってぴったりおさまらない。どないしよ? と考えて、麵の上にカップをかぶせるという形を思いついた。
 こうして1971年にカップヌードルが完成した。その後、お湯のでる自販機を開発した。百福ってすごい発明家だったんやな。
「理想的な商品をつくってから生産設備を考えよ。生産しやすい商品を開発の第一目標にしてはいけない」
 いい言葉やねぇ。

 ミュージアムを出て観光マップをながめたら、山側に「小林一三記念館」がある。阪急電鉄や宝塚を開発した実業家だ。

 阪急の線路をこえて山側に15分ほど歩き、300円払って記念館に入った。彼の旧邸である洋館「雅俗山荘」だ。
 あれ、既視感がある。忘れていたけど2年前の2023年3月にも来ていた。
 小林は山梨生まれで三井銀行に10年勤め、1907(明治40)年、新しい証券会社の役員になるため大阪に来たが、恐慌で会社は設立されなかった。
 阪鶴鉄道(福知山線)にたずさわるが国有化されてしまう。すでに路線建設が認可されていた箕面方面の鉄道に可能性をかんじて「箕面有馬電気軌道」の追加発起人になった。このとき34歳。梅田−宝塚と、石橋−箕面の鉄道を建設した。
 田園地帯を走る鉄道の客を増やすため、鉄道開業前に沿線の30万坪の土地を取得し、明治43年に日本初の郊外型分譲住宅団地「室町住宅」を池田で開発する。
 箕面には上野動物園と東山動物園(京都)につぐ全国3つめの動物園を開いた。宝塚には近代的な洋館の「宝塚新温泉パラダイス」をつくった。少女が歌をうたう宝塚唱歌隊は宝塚歌劇に発展した。
 ターミナルデパートの阪急百貨店や六甲山ホテル、映画の東宝も設立し、東急や東電、昭和電工の経営にもかかわった。日本初のビジネスホテルである新橋第一ホテルと大阪の新阪急ホテルもつくった。近衛内閣では商工大臣もつとめた。

 お札になった渋沢栄一や、浅野セメントの創業者で京浜工業地帯の形成にかかわった浅野総一郎、ちょっと後輩の松下幸之助らとならぶ、とてつもないスケールの経済人だったのだ。そういう大物経済人が韓国や中国、台湾では今も生まれている。日本、とくに関西の経済人のスケールが小さくなったのはなぜなんだろう。
 考えながら池田の町を歩いたら、商店街に「種」の店をみつけた。こういう店が残っているのがありがたいなぁ。

 なぜか「落語ミュージアム」も。展示はたいしたものがない。ここでたまに寄席を開いているようだ。

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