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熊野古道・紀伊路4 湯浅〜紀伊内原

■ 湯浅〜紀伊内原駅
湯浅駅前から9時出発。線路をくぐり、ミカン畑のある集落を歩く。
集落のなかになぜか割烹料理店がある。その隣が貴重な仏像があることで知られる勝楽寺。

湯浅駅〜勝楽寺-11

大きな楠が3本そびえ、青いレモンが揺れている。紀伊国屋文左衛門の碑があり、軍人墓も多い。

湯浅駅〜勝楽寺-12

国道を渡ると久米崎王子跡。江戸初期に頼宣が小社を再興した。まちおこしの好きな藩主だったのだ。だが明治40年に合祀された。

広川遡る-8

広川という川をさかのぼっていく。国道をわたって反対側の小道へ。
高速道路の広川インターの下あたりに津兼王子跡があるはずだが見逃した。
国道をちょっと歩いてまた左手に離れ、ミカン畑を歩く。
10:29、馬の養生場跡。「おいしい癒やしの水」の案内がある。ちょっと先の企業の敷地内にわき水があり、会社をやっているときは自由に使わせてくれるという。

旅籠跡の民家-2

「旅籠跡」が次々にあらわれる。最初の2軒は「崎山」とう姓だった。スイセン、フリージア、ユキヤナギ……どこも花だらけ。

伏見稲荷丹賀大権現-1

伏見稲荷は、急斜面に赤い鳥居が10本近くあり、小さなお堂が集積している。

伏見稲荷丹賀大権現-3

キツネの狛犬はもちろん、ヘビの置物がいくつもある。

伏見稲荷丹賀大権現-8

伏見稲荷丹賀大権現-5

「土砂石踏み」と名づけられた鉄板が敷いてある。その下には四国霊場の土砂が敷いてあるから踏んだら御利益があるらしい。おもしろい社だ。

河瀬王子跡-3

河瀬王子跡は、明治41年に合祀された。奥の斜面上には巨石がある。昔ながらの信仰の名残だろう。

地蔵寺-軍人墓-1

「地蔵寺」にはトイレがある。境内には軍人墓が10基あまりもならぶ。ミンダナオやルソンで命を落としている。

地蔵寺-1

ここから鹿ケ瀬峠への登りだ。

立場跡まで-5

11:04、馬留王子跡。道標の石がある。「立場跡」でかごを下りて、牛馬の背にのりかえたという。
急な林道をのぼり、ミカン畑からスギ・ヒノキの森に入る。下には国道42号が並行して走っているのがみえる。尾根の風車に向かってつづら折りの坂道をのぼる。時折、照葉樹の巨木がある。楠はシイやタブとちがって、人の手の入ったところで成長するらしい。だから神社に多いのだおるか。
最近整備された石畳もどきの道に入る。ふつうの舗装道よりは歩きやすい。

大峠まで-16

11:50、大峠の地蔵は道標を兼ねている。「しばられ地蔵」「痔の地蔵」とも呼ばれ、尋ね人が見つかるよう、縄をかけておき、見つかると縄を解く風習がつづいているという。

大峠まで-17

「法華の壇」は養源寺草創と伝えられ、近くには鹿ケ瀬城跡も。

大峠まで-21

すぐに大峠。大きな石垣が残っている。養源飛地境内だったという。
峠は広々としていてベンチがある。「鹿ケ瀬峠354メートル」と書いてある。昔は茶屋や旅籠もあり、にぎわっていたという。

小峠まで-5

昼食をとって12:15発。10分ほどで小峠。地蔵さんと道標がある。ここからの下り古い石畳が500メートルほど残っている。

下りの石畳-6

「ささゆり復活・再生プロジェクト」という看板がある。かつては多かったが絶滅してしまった。「日高町語り部の会」の杉村さんという人が事務局をつとめている。

ササユリとサクラ熊野古道公園-7

谷沿いは石垣で段畑のようになっている。1段1段に小道があり、熊野古道公園として整備し、桜も植樹しているらしい。雰囲気はよいが、ここまで来る人はどれだけいるだろうか。

室町の板碑まで-7

12:54 題目板碑。室町時代の石碑がならんでいる。金魚茶屋駐車場にはきれいなトイレもある。

金魚茶屋まで-4

金魚茶屋まで-10

その昔、金魚茶屋と呼ばれる茶屋は清水を引いて金魚を飼っていたという。

金魚茶屋まで-12

ツツジやスミレ…サクラのつぼみもピンクになっているから来週には開花するだろう。ところどころ、満開の桜のような木もある。田んぼにはレンゲが咲き乱れている。
谷間の道沿いの家が点在する集落は原谷という。
道端に座っているおばあちゃんが、「ほら、あそこ、猿や」と竹が茂る山を指さす。「サルやシカやイノシシに野菜は全部やられる」。原谷は、黒竹の里だという。

原谷の黒竹-4

国内でもごくわずかしか黒竹ができるところはない。お遍路途中に高知で見たのを思い出した。山に設けられているモノレールは黒竹を運ぶため。昔は夏ミカンがあったのに、今はミカンがないということは、それ以上に黒竹がもうかったのだろう。黒竹は最初は緑だが、しだいに黒くなり、2年で伐採する。最近は若者が流出して黒竹をやる人が減っている。なぜここにだけ黒竹が発生し、それを加工する文化が生まれたのだろう。
原谷はおばあさんの家が一番上のほうで、谷沿いにずいぶん下まで広がっている。花が多くて落ちついた集落だ。

沓掛王子-1

13:30、沓掛王子跡。
谷の反対側は、下から田んぼ、次に民家、その次に竹林、その上にこんもりとした、おそらく常緑広葉樹の森があり「ウエディングケーキみたいや」

竹と花の里-3

あちこちにヤマザクラかモモ?が咲いている。「カフェれん」という看板を掲げた民家もある。
ムスカリ、モモ、モクレン、スイセン……といった花、ツクシやミカン。生命に満ちあふれ、色彩が豊富な里だ。

黒竹の束-1

13:58、爪かき地蔵。弘法大師が爪でかいた地蔵があったとか。

爪かき地蔵-3

四ツ石聖蹟地は、後鳥羽上皇が定家と共に休息をとった場所という。

四ツ石聖蹟地-1

原谷集会所は「紀州黒竹民芸品組合」という看板もかかっている。

黒竹-1

集会所の隣の皇太神社。

原谷皇太神社-1

原谷皇太神社-2

14:14、馬留王子跡。ここも合祀によって消えた。となりの高台に光明寺がある。

光明寺-2

お彼岸の集まりがあるらしく、本堂の前に革靴がたくさんならんでいる。
広めの車道をさけ、集落のなかをぬうように古道が通っている。おばちゃん3人がいた。きれいな花について「モモですか」と尋ねるとうなずいて、もう1本を指さして「こっちはスモモ。桃の木に接ぎ木したから甘くておいしいスモモができるよ」という。まさに花の里だ。

雨司神社-3

左手の斜面の上に鳥居がある。のぼってみると、段畑の上に小さな社がある。雨司神社。本来は山の上にあったらしい。雨乞いの神社だという。谷間の里を見渡せる。

雨司神社-6

車道沿いに「原谷黒竹組合」がある。

黒竹の里ぴかいちまで-4

車道に出たところに直売所「黒竹の里 ぴかいち」があった。デコポンやはるかなどの柑橘と、黒竹の工芸品をならべている。はるかを買って食べた。酸味がちょっと強いけど、味が濃いからおいしい。
左に田んぼを見ながらちょっと歩くと右手の山の斜面を登る石段がある。今熊野神社。

今熊野神社-2

暗い森は照葉樹だ。妖怪が出そうな雰囲気がある。

今熊野神社-3

内ノ畑王子跡をすぎてまもなく麦畑があった。黄金色の穂を太らせて風にゆれている。

麦畑-2

愛媛では裸麦を見たが、それ以外では麦畑を見るのは久しぶりだ。小学生のときは実家の近所にも植えていた。いつから麦は消えたんだろう。

菜の花白と黄-1

きょうのコースにはレンゲが多い。昔は実家の近くもレンゲがたくさんあった。

レンゲの田-1

たぶん今はなくなっている。レンゲやクローバーを緑肥として使わなくなってしまったのだろうか。
まもなく鉄道が見えてくる。線路の直ぐ近くにこんもりした森がある。内原王子神社(高家王子)。

高家王子-内原王子神社まで-3

社殿はりっぱでたくさんの絵馬がぶら下がっている。

高家王子-内原王子神社まで-9

きれいなトイレがある。

丸石のある地蔵-1

丸石を従えたお地蔵さんがあった。丸石信仰は山梨が有名で、紀南でも何度か見たが、ここにも丸石信仰があるのだろうか。

内原駅まで-1

古道から離れて踏切を越えて国道に出た。15:54、内原駅着。地図では17キロのコースということになっているが、寄り道したせいか21キロ歩いた。

内原駅まで-4

駅前に大きな楠がある。巨木は1本だけでも空間に落ちつきを与えてくれる。(つづく

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