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伊予遍路 岩屋寺-浄瑠璃寺

小田の高橋旅館でもそうだったが、午前6時に壮大なチャイム放送がなり、たたきおこされる。

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狩場
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大宝寺遍路道
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大宝寺の地蔵
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珍しい白イチジク
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久万、廃業した旅館
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木造3階建てレトロ
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三坂トンネル工事中
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久谷の遍路の墓
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網掛石でのんびり
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秋の風物詩も珍しく

浄瑠璃寺の大師の子供時代の像

のうの槇谷の集落でも、夕方3時の放送が流れていた。
聞く人 は2軒だけ。
無駄というより、この音がなかったら死んだような寂しさをおぼえるのか、逆に、放送があるからますますさびしさがつのるのか。
夜半まではすさまじい豪雨だったが、晴れ間がでている。
6時にメシを食う。
おばちゃんとひとしきりしゃべり、その後に肉刺の処理などをして午前7時15分出発。
杖があるせいか、2.5キロ離れた古岩屋まで30分で到着する。
ここから狩場あたりまでをむすぶ遍路道があるが、昨日の尾根道とかんちがいして、車道をえらぶ。(実はそんなにのぼる道じゃなかった)
広い県道の坂をぐーっとのぼるとゴルフ場で、くだると狩場の集落だ。
集落の裏をとおる畦道は、用水路の水の音がゴポゴポジョロゴポと合唱のようにひびく。
畦に腰をおろすと靴をぬいだ素足にトンボがとまった。
なんておだやかな光景なんだろう。
民宿・狩場苑のとなりはコスモス畑で、宿の庭にパラソルと椅子がでている。
下畑野川公民館は、戦後直後に青年団がカネと労働力を供出して戦後直後にたてたという歴史をもっている。
昨日の槇谷の小学校の話といい、住民のパワーを思わせるエピソードである。
なぜ今はこんなになってしまったのか……
渡った川は、昨日の桃源郷・中野村をながれる有枝川の上流にあたる。
下流はあんなに激流なのに、このへんはおだやかな流れだ。
「四国の道」は、ここから中野村をとおって国道33号沿いの上黒岩までつないでいる。
峠御堂トンネルの手前から山道に入る。1.6キロの急坂をのぼってくだり10時25分に大宝寺に着いた。
水がこんこんとあふれ、竜の口からボコボコゴッポゴッポと音をたてて流れている。
水が豊かにわきでるのは豊かさの象徴に思える。
寺の参道沿いの小さなお堂の前に椅子をおき、御詠歌をよむおばあさん。
そういえば私の祖母も、毎朝仏壇で「南無妙法蓮華教」をとなえていたな。
門前の店で「白いちじく」を売っている〓〓。
ふつうのイチジクよりはるかにおいしいが、皮がやわらかいから市場にはむかない。めずらしい。
久万の中心街は、古い立派な建物が点在する。
造り酒屋はここでも立派な白壁だ。廃業した旅館は、交通が便利になりすぎたせいだろうか。
町をでると、三坂峠までは国道歩きである。峠に近づくと薄い霧におおわれる。
しんどくなると、歌をうたう。
ラテンの歌、唱歌、小中学のときにならった「小さな木の実」や「気球に乗って」「アムール川」もいい。
音楽授業があったか ら、頭のなかに無数のメロディーがあふれてくる。
思いをこめてうたえる歌があるほど、逆境に強くなるような気がする。
でも最後の最後 に力をふりしぼるには、ただ単に歩数をかぞえるとか、「南無大師遍照金剛」などととなえるほうがよい。
「南無大師……」はとくに急坂をのぼるときのリズム にピッタリとあう。
〓〓単純でありながら力がある言葉ってたしかにあるのだろう。
わからないままにとなえていれば、そのうち心に変化がおきることもなくはないだろう。
それが信仰なのか、それとも五七調や七五調といった文学のリズムという形にあらわれるのかはわからないが。
13時、三坂峠に到着する。かつて繁盛していたドライブインは廃墟にようになっている。
茶を買って遍路道へ。浄瑠璃寺まで8.2キロと書いてある。
右膝をかばいながら急坂をくだるからすぐに膝がわらう。
足の痛みは相対的、こっちの痛みが消えればこっちが痛くなる。
ごまかしごまかし生きてくもんさ、欲は欲をうむだけだし……そんなことを考えながら歩く。
1時間弱で舗装道にでてホッとしたが、実は土の道よりもきつい。
ひざや土踏まずを衝撃が直撃する。しかも急な下り だから一定のリズムをつくれない。
ジョギングするように走って疲れ、歩きにきりかえると、忘れていた小指の痛みがおそう。
のぼりと、軽い下りと、急な下りではそれぞれ歩き方がちがう。
それを切り替えるたびに痛い目をみなければならない。
猪よけの柵が段畑をかこみ、彼岸花が周囲をいろどる。
「坂本屋」はかつての遍路宿を整備したものだ。眺望もよい。
こんなところに宿があったら、峠越えも楽だろう。トイレがあるのはありがたい。
網掛石にはお堂があり、のどかで休憩しやすい。
16時17分、長珍屋の看板がみえてようやく「おわったー」と思った。
浄瑠璃寺の正門で、 宇和島で会った黒い袈裟を着た若い坊さんに再会する。
「アスファルトは腰にきますねえ」と飄々と宿にはいっていった。
こういう再会をくりかえすのが遍路のよさだ。(10月10日)

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