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伊予遍路 大洲-小田

 6時45分出発。小雨がぱらついているから合羽を着たがまもなくやんだ。

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大洲市街地
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レトロな帽子屋「子供を守る」
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肱川と大洲城
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十夜ケ橋
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内子の商店街
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からりのにぎわい
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和田近辺
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大瀬の町並
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開放的な大瀬小学校
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路木の豆腐店
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国道拡幅工事
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柿の木と彼岸花
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小田の中心、ファンキー案山子

 朝靄の大洲の中心街はしっとりした風情があっていい。
が、肱川をわたりしばらく歩き、郊外になると、大型店だらけで殺風景になる。
これが経済の活力源なんだろうけど、あまり好きになれない。
大洲市街地からは冨士山の姿が端正だ。こういう山があると風景がひきしまる。
1時間ほどで十夜ケ橋に着く。
車でこの橋をわたったときは、幹線国道のたんなるコンクリートの橋であることに唖然として、高知のはりまや橋なみのがっかり名所や、と思った。
でも自分の足でたどりつくと感じ方はちょっとちがう。
橋のたもとにベンチはゆったりすわれるのがうれしい。
弘法大師が寝た時代よりも、24時間トラックの轟音に悩まされる今のほうが泊まるのはもっとつらかろう。
そう、歩いてたどりつくとホッとしてくつろげる場になる。
感動はなくても「物語」はできる。

途中、昨日も会ったジョギングおじさんに追い抜かれる。
短パンにシャツ、小さなデイパック姿だ。
あとから聞いた話では、昨日は宇和島から大洲まで走り、きょうは大宝寺まで40数キロを走るという。
すごい。
 今度は神南山という山を右手にながめながらあるく。
 山はすこしずつ形をかえていく。存在感のある山があると、風景に安定感がでる。
歩くと、地域にとって大事な山や川の存在感を実感できる。
  8時45分 「喜多山駅?」を通過。造り酒屋がある。
立派な白壁の建物は、造り酒屋の過去の栄光が垣間みえる。
集落最大の御大尽だったからこそ、政治家 になる人もいるのだろう。
近くに菓子屋があれば、「おつかいものだな」と想像する。
では、酒蔵で肉体労働をする底辺の人の暮らしはどうだったのだろうか。

 左膝の左外側の痛みが強まってきた。
表面の痛みだから大丈夫かとも思ったが、これ以上強まるようだときつくなるかもしれない。
内子の町に近づき、国道をはなれて旧道を歩くことにする。
JR内子駅ちかくはアパートやマンションが多い。
この地区の人が「うちの地区には遍路道がとおっていて、弘法大師が遠いなあと思案したという思案堂があ ります」と言っていた。
弘法大師が歩く以前には札所は存在しなかったのだから、この伝説じたいおかしいのだが、そういう矛盾があるのがまたおもしろい。
「遍路道があるから」という言葉を遍路道沿いの人たちからよくきいたけど、
それがどのくらい重みをもつのか、自分で歩いてみてやっと納得できた。
 10時すぎ、内子の商店街に入る。
ときおり香のにおいもただよってくる。
伝統的な町並みを見学するのはやめて、商店街をまっすぐ歩いて旧小田町方面の国道にでる。
道の駅「からり」は、駐車場がいっぱいになるほど繁盛している。
イチゴのアイス250円をたべる。
「小田19キロ」の看板。まだまだ遠い。
 稲刈りをおえた田で稲をほしている。透きとおった小田川では網で鮎をとっている人がいる。
 車がとまって、遍路のおじさんがおりてきた。「どうぞお接待です」と、にぎりめし2個とミカンをいただく。
恐縮してしまう。「ありがたい」って感覚、ふだんかんじることはめったにない。
お接待される経験の繰り返しが人をかえる部分があるんだろうなと思う。
ハイペースで歩くおじさんに追いつかれた。
高知の30番から歩いて14日目。
「曜日の感覚もなくなっちゃったよ」
いいなあ。昨日は宇和島から大洲まで歩いたという。
同じ行程を歩いたのに、疲れた様子がない。
「何日くらいで慣れました?」
「今でも肉刺つくりますよ。なれませんよ。つらいままです。でもまあ、こうやって歩いていられるだけ幸せなんでしょうけど」
そんなもんか。
 長岡山トンネルをぬけると12時。無料の宿泊所がある。そこでおじさんは休憩。
私はさらに10分ほど歩いて、和田のトンネルの手前で休憩をとる。
いい具合に、わき水がある。顔をあらい、がぶのみする。
いただいた握り飯をほおばり、20分ほど地べたにすわる。
和田の集落は柿の木が多い。愛宕柿?やらフユウガキやらが大きな青い実をつけている。
柿の集荷場の隣は直売所になっている。
 大瀬にむかう旧道に入ると、川の流れが近くなる。
大江健三郎の故郷の大瀬は家の改修がすすんでいる。
鮮魚店もスーパーも表面は改装された。でも、売り場 は以前のまま。
ファザードだけ整備しても中身がかわらないと観光客にはアピールするまい。
でも、型をかえることで中身の変容を期待する、という考え方もな くはないが。
だとしたらハコモノも意味があるということか……
 大江さんの実家は、めずらしく引き戸があいている。
上がりかまちの雰囲気が落ち着いていて上品だ。
 小学校は沖縄の学校のように開放感がある。
いまどきの学校のように塀で囲っていないのがいいのだろう。
 国道は拡幅工事をあちこちでしている。
2車線に広げるため、川に垂直のコンクリート護岸がそそりたつ。
流れと接する部分だけ、形ばかりの自然工法?をほ どこしている。
 石積という集落の古い民家の2階の障子があけはなたれ、おばあさんがすわって私にむかって手をあわせ、「南無大師遍照金剛」ととなえ る。
まるで仏壇のなかから声をかけられているよう。
信仰がいかに庶民の生活に浸透しているかよくわかる。
こんな文化は受け継がれないのだろうか。
この近くの川登地区では5月に「筏流し」をしている。
住民が要望して、国道改修の際にトンネルや橋にすることで一部区間はコンクリート護岸化をまぬがれたという。
それはいいことだが、全体的には川の相貌は破壊されつつある。
川登の集落には、やなせのうどんの店があり、畳敷きの小さな大師堂がある。
いかだの資料館の隣に、立派な木造建築ができている。
「いかだ屋」という。
ちかくで柿を選別していたおばあちゃんによると、町が建設して地元のおばちゃんたちが予約客を泊めているという。
小田川の鮎や地元の野菜をつかった料理が人気で、これまでに1000人以上が泊まった。
大きなフユウガキをお接待していただく。
 15時前、路木という集落でさっきわかれたおじさんが追いついてきた。
1時間ほど昼寝したという。すごいはやさだ。
この集落の民宿「来楽苦」に止まるという。
 広田村方面と小田方面がわかれる国道の分岐を右へ。
4キロごとに休憩してきたが、さすがに疲れてそのペースが守れない。
 旧小田町に入ると、山は杉がふえ、谷が深くなり、なんとなく暗い。
小田高校のある寺村をすぎると、役場のある町村である。もう17時前だ。
内子と合併し て、役場は10人ほどの職員しかいない支所になってしまった。
 役場の目の前の高橋旅館はかなり古い。
部屋はきれいだが、クーラーが壊れていて扇風機をもっ てきた。
「きょうは暑いけん、ごめんね」
宿のおばあちゃんは親切でいい人だ。
夕食も刺身と煮魚と……という旅館飯だがおかずがたっぷりでおいしい。
4人先客がいる。みんな歩き遍路だ。
2人は通し打ち。2人は高知からの区切り打ち。
 右足の小指が血豆になっている。
針をさしたら薄赤い液体がピュッととびだした。
ひぇー。
 ビール含め2食つき6850円。

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