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伊予遍路 宇和島-大洲

ひさしぶりの愛媛遍路。
早朝にあるきはじめられるよう宇和島駅前のグランドホテル5500円に宿泊する。

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こんな宿が…

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務田の手前 蔵とコスモス

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龍光寺から。寺に鳥居

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龍光寺からの遍路道

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仏木寺
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歯長峠

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高速道路建設中

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みかんお接待

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鳥インフルの影響心配

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明石寺の巨木

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宇和の町並み

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瀬戸という集落

なつかしの居酒屋・穂積亭にいったら満席だから、ブラブラ歩いて、「酒呑(ささの)」(宇和島市新町1-10-10 0895-23-6333)に入る。
オヤジはなかなか気さくだ。ここ宇和島の出身だが、都会にでて肉の仕事をしていた。
帰郷して、スーパーの精肉部門と市役所につとめたあと、6年ほど前に居酒屋をひらいた。
だから肉関係のメニューが豊富だ。子牛の食道まわりの肉で、フランス料理などにつかわれるというリードボー?はまるでアンキモのよう。日本酒や焼酎にあう。
アジとウニの刺身、蛍いかの沖漬け、生ビール、日本酒1合、焼酎で計4200円。ちょっと飲み過ぎた。
アジはふつうだが、ウニと肉と沖漬けはうまかった。日本酒の石鎚もなかなか。

翌朝、6時35分に出発する。線路を左側からまいて国道56号線にでる。
和霊神社の前などでは、近所のおばさんたちが掃除をしている。
古き良き日本の保守的な風土をかんじる。
こんなところに余所者が住むのは大変だろうが、こういう風習がなくなったら殺伐とすることだろう。
東京をみればよくわかる。

コンビニで握り飯1個とスポーツドリンクを買う。
国道を離れ、三間方面へ。
南予らしい浅い谷をはしる車道を歩く。
なだらかな山はてっぺんまで竹林だったり植林されていたり。
昭和30年代まではたぶんすべて段畑だったのだろう。
梅林口というバス停のベンチには「米・オレンジ・果汁・牛肉等自由化枠拡大絶対阻止」というステッカーがはってある。
自由化反対闘争は、保守的なこの地域でも盛り上がったのだろう。
でも、自民党を支持し、補助金という毒饅頭を食わされ、今では反対する元気さえなくなったのではないか。

1時間に1度はかならず休み、靴下をぬいで乾燥させることにした。効果を検証してみたい。

愛媛県の中予地区の山村は山の中腹に集落が成立したが、
南予はなだらかだから、ゆるやかな谷筋に集落が発展したときいたが、歩くとよくわかる。
務田の駅の手前を斜め左にむかて小径にはいり、水田のなかの一本道を山にむかって1.5キロほど歩く。
畦には彼岸花が点々と咲いている。
畦周辺に密生しているということはずっと昔の誰かが植えたということだ。
根に毒があるから、モグラが畦に穴をあけないという効果がある。
自然のまま放置していても彼岸花ははえない。
草刈りするなど、適度に人間が手をいれるとはえてくるという。
土地改良してしまった田にはこんな風景はないのだろう。

寺の手前には店がいくつかある。
みかん1袋100円の良心市に目がいったが、がまん。
「カメラをもってお遍路かね。寺の門のすぐ下で曲がって山のなかを通りなさい。近道だから」とのこと。
9時前、41番・龍光寺に到着する。
丘の上、水田をみおろす心地よい山腹にある。水をたっぷりのんで先をいそぐ。
門をでてすぐ右に折れ、墓地のなかをとおって山道にとりつく。
杉木立の山をぬけるとブドウ棚があらわれる。
左手に四国横断道路の建設現場をみながら車道を歩き、工事現場のすぐわきの仏木寺に着いた。
境内からは高速道路の工事現場がみわたせる。
県道をちょっと歩いて左手にわかれ、ため池のわきをとおって山道に。
「きついのははじめだけ」と書いてある峠道をえらぶ。
ずっとむこうの稜線に立つ鉄塔あたりが峠だ。
きつい急坂を350歩ほどのぼったら、ゆるやかになり、まもなく歯長峠にたどりついた。
車道がない昭和初期までは、この道をだれもが利用していた。峠に彼岸花が咲いているのは、だれかが植えたのだろう。
峠には鉄塔だけではなくお堂があり、雨宿りできそう。
山道をくだって、浅くゆるく広い谷のわきをはしる車道をたどる。
1時間ほどで丘の上に文化博物館がみえてくる。
きつい登りの参道をたどり13時50分に明石寺に到着した。
山の上の静かな寺。巨大な夫婦杉?がそびえたっている。
が、山の寺なのに、手水舎に水がないのがちょっと興醒めだ。
「上宇和3.4キロ、大洲19.8キロ」の看板を見て、大洲まではどんな急いでも午後7時半になるもんなあ、と迷う。
裏山の遍路道をあるき、ひと山こえて宇和の町にはいると、まだ3時前だ。
迷いながら歴史的な町並みを歩いているうちに、いかにも高級そうな旅館の前をとおりすぎてしまう。
犬養毅らもとまったという。泊まってみたい気もするが1人じゃもったいない。

整備された「町並み」部分じゃなくても、遍路道添いは風情がある。
途中に宿泊施設はなさそうだし大洲をめざすしかない。
「上宇和」をこえてまもなく、「お遍路さんむけ」という「宇和パーク」という看板が目につく。いったいどんな施設なんだろ、と思ったが、旧道から100メートルほどはずれないといけない。ま、いいや、と、やりすごす。
平行する国道には、大型店が点在する。
坂戸という集落をこえたところで休憩していると、近所のおじさんが話しかけてくる。
「こんな時間にお遍路さんが通るのはめずらしいですよ。だいたいは宇和パークに泊まりますから」
え? 宇和パークって泊まることもできるの? 知っていたら俺もそうしたろう。
「大洲までは遠いけど、気をつけてくださいね」
一度国道にでて、16時すぎにふたたび脇道にはいり、瀬戸という集落を歩く。
白壁の蔵や家屋があったりして、ちょっと豊かだ。
次の集落・信里は、瀬戸にくらべると田舎の農村という雰囲気だ。ここもまたちがった意味で風情があって楽しい。
17時06分にトンネル前に到着し、一気に歩道のないトンネルを抜ける。
本当は峠道を歩きたかったが、この時間では無理だ。
1117メートルのトンネルはストレスがたまる。
疲れた足をひきずって約3キロ弱歩いて札掛(17時47分)の先のドライブインで休憩する。
もう真っ暗である。
ヘッドランプをともしてひたすらくだる。
本来の遍路道は川沿いをとおるが、私は大洲市街方面へ。
最後の1.5キロほど暗い国道を歩き、トンネルをぬけると、おお、ライトアップされた大洲城だ!が、目の前の街はすでに真っ暗で、ボーリング場とラブホテルだけが派手な照明をともしている。
19時10分、市役所までおりてきた。
このへんでホテルがないとつらいなあと、思って104でさがしたら、市役所のすぐちかくにビジネスホテル「だいいち」があった。
5300円。
付属の居酒屋は、とくにおいしくはないが、ビールと日本酒1合とつまみ2,3品たのんで1900円だからまあ許そう。
入浴後、肉刺をつぶす。右の小指と薬指がいつものようにひどい。
水ぶくれの水がピュッととぶ。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • ずいぶん昔からお遍路してるんですね。現在とはずいぶん雰囲気も違ったんでしょうね。

  • 雰囲気も変わったけど、自分自身が変化してるからね。
    どっちが変わったのか、よおわからんところがありますね。

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