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遍路㉛さんふらわに会えた海 菊間~仙遊寺20200306

 菊間駅に7時半に着いた。気温零度前後で寒い。
 菊間のまちを出ると、真っ白な煙を吐き出す太陽石油の巨大な工場が目の前にそびえる。

 その奥の地下には石油備蓄基地があるのだ。

 太陽石油の隣の山際の青木大師(青木地蔵)には、弘法大師の力で湧いたいう井戸がある。無料で泊まれる通夜堂は清潔だ。
 国道の峠の「峠店」はアイスが名物らしい。Rならば迷わず買っていたろう。伊予亀岡駅で休憩する。

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 旧大西町には新来島ドックがあり、造船所周辺に大型船が何隻も繋留されている。昔は「さんふらわ」や高速双胴船も浮かんでいた。高度経済成長期を知る人間にとっては心引かれる風景だ。
 ところが友人によると、これらの大型船は、船会社が倒産して未払い債権がわりに造船所に引き取られ、海外へ売れるまでの係留だという。知らなかった。
 9時17分、星の浦海浜公園の直前で内陸の旧道に入った。

 大西駅近くで、屋根の上に巨大な瓶を載せた屋敷がある。説明書きによると、大庄屋井手家の屋敷で、天水瓶を設けたのだという。松山藩が参勤交代する際は本陣として使われた。

 コンビニで握り飯を買って食べ、県道で水田を横切り、小道に入って住宅地とため池を過ぎると延命寺の山門だ。10時40分、山門の手前には軍人墓が林立している。背後は竹林で、クルックーと鳩の声と風音だけが響く。雰囲気があたたかい。

 延命寺を出発してまもなく、1600年代に遍路道を組織した中興の祖ともいえる真念法師の標石がある。
 墓地や住宅地を通過してため池の上にのぼると墓地公園に出た。眼下に広がる今治のまちへくだっていく。

 墓地には「軍人第5区」と軍人墓ばかり集めた一角があり、巨大な忠霊塔も備えている。「忠霊」の塔を戦後つくったのだろうか?
 まちにおりる。城の天守閣をビルの上に載せた趣味の悪いマンションは記憶にある。「高井城 城山ハイツ」という。裏手は姫坂神社という大きな神社だ。

 11時50分、中心街にある南光坊に着いた。15.9キロ。隣は神社だ。
 今回はじめて団体遍路に会った。集団の読経はうるさい。

 山門には、持国天、多聞天、増長天、広目天のの四天王像が、表と裏に2体ずつ立っている。
 宿泊予定の仙遊寺宿坊は食事がないから、トンカツの店で「コーンフレークチキンカツ定食」を食べ、コンビニでおにぎり弁当やサラダ、チョリソー、ビール、焼酎を買った。

 泰山寺の奥の院、龍泉寺は小さくてかわいいお堂だ。隣の家でおばちゃん2人がおしゃべりしている。話してみたい気もしたが、なんとなく気力が出ず、退散した。

 山の中腹にある三嶋神社から下ると泰山寺の裏に着いた(13時50分20キロ)。住宅街のすぐ上にあり、寺の境内は駐車場のように明るい。

 14時5分に寺を出て15分後、「四国遍路無縁墓地」に墓石や地蔵が並んでいる。隣の特養日高荘の敷地に「へんろ小屋」がある。その目の前が川で、渇水時には川を歩いて渡ったという場所だ。きょうは上流の橋を渡る。

 山と田の境界線をぐるりとまわり、山の中腹にのぼると栄福寺だった(14時50分)。こじんまりしていて、背後は竹林で、その明るい色が心地よい。竹林からはチーチーという鳥の声が聞こえてくる。
 納経所の女性は「今日は団体は2組だけ。閏年だから多いはずなのに。コロナで塾まで休みになって大変です」。
 15時15分発。大きなため池までのぼって山道に入る。

 車道に出てちょっと歩くと仁王門。仁王さんはさわやかな明るい肌をしている。門をくぐると急坂がはじまる。十数年前、この小径にはシャクナゲが咲き乱れていた。

 16時、標高250メートルの仙遊寺に着いた。25.5キロ。
 宿坊は素泊まり4000円。温泉もある。食事は、以前は手作りの精進料理が有名だったが、今は「前日午前まで」に予約すれば精進弁当を出すという。

 温泉はぬるぬるして心地よい。夜、今治の街やしまなみ海道の橋のネオンの点滅を見渡せた。(つづく

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