MENU

遍路㉑黒潮は三途の川 土佐清水~大岐浜 20200225

 6時40分に宿を出て、深い入り江沿いに歩く。清水港は天然の良港だ。
 きょうはあたたかい。7時過ぎには手袋をはずし、7時半にはカッパを脱いだ。
 7時半、県道から中浜の集落におりる。中浜会館という公民館のような建物と「中浜区長場」という建物もある。役場のような場なのだろうか。

 「万次郎茶屋」があり、「ここがジョン万の生誕地」「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう」といった看板?があふれている。「中浜万次郎翁の生家 100メートル」という案内板に誘われて、路地に入る。漁師町の路地の奥にかやぶき民家が復元されていた。
 「ジョンマン・スピリット」とは「最大の災難を最大の味方に転ずる生き方。つまりどんな困難にあっても希望を持ち、決してひるんではいけない、人間前が見えてきたら、あとは自分の力で泳ぎきれ……」と記されている。万次郎は権力者ではなく、個人として生き抜いた。まねはできないけど、あこがれる。彼のことは鶴見俊輔が評価していた。防波堤に「ジョン万」の人生を紹介するパネルが飾ってある。
 防空壕跡を保存して残している。歴史を大事にする風土があるのだろうか。
 土佐清水が最大の産地である宗田節の工場が点在し、黒いカツオ節を干している。
 次の集落の大浜にも「区長場」がある。このへん独特の制度なのだろうか。
 8時20分、県道に出る。巨大な橋の手前を左手の旧道に入り、お地蔵さんから遍路道に入る。

 だらだらと長い登りがつづく。石畳は小石とコンクリートで固められている。最近まで往還道として使われていたのだ。「遍路道」は生活で使われてきたから残った。熊野古道と同じだ。

 20分ほどで尾根の車道に出る。ここで道を間違え、ぐんぐん車道をのぼっていく。方角のおかしさの気づいた時には、馬の牧場や「唐人駄馬」という縄文祭祀遺跡の公園まで来てしまった。広々とした芝生でウグイスが鳴いている。20分以上ロスした。
 10時、県道におりると松尾地区だ。集落のはずれに松尾小学校があるが、どうやら廃校のようだ。

 この集落でも黒いカツオを干している。前回は下ノ加江の「安宿」という民宿から35キロ以上歩いて、この集落の民宿に泊まった。Rには酷なことをしたもんだ。
 鰹節関係の吉福家住宅は、国の重要文化財になっている。今は誰も住んでいないという。

 おばあちゃん2人に「おへんろさん!」と声をかけられる。「この先に休憩所があってコーヒー飲めるから、休んでいったらいいよ」。「記念に写真を撮らせて」と言うと「ありがとう」。写真を撮られるのを喜ぶってラ米のよう。でも昔の日本はそうだったのかも。ハッサクを1個お接待してくれた。甘くて汁がたっぷりでおいしかった。

 教えてもらった休憩所では、「休憩していきませんか?」と誘われたが、断って先を急いだ。Rとの思い出深い松尾は人なつっこいムラだった。

 10時46分、木の幹を蜜蜂の巣箱にした「ゴーラ」をまた見かけた。
 11時すぎ、ホテルがならぶまちに入る。足摺岬小学校や保育園は南国の雰囲気だ。石垣島やハワイを思い出す。「万次郎足湯」は無料で入れるが通過した。
 11時17分、38番金剛福寺着。17キロ。

 山門を入ると大亀の像がある。亀といえば浦島、補陀落渡海、ニライカナイ。南の国では、あの世はある種の理想郷で、海の向こうにあると信じられてきた。黒潮はあの世との間に流れる三途の川のようなものだったのだろう。
 広々とした境内には、本堂や大師堂のほか、いくつもお堂がある。池があって境内全体が庭園のようだ。

 11時45分、寺を出て、足摺岬灯台周辺を巡る。「亀呼場」は、沖合の不動岩に渡るため大師が亀を呼んだ場所だという。
 県道と遍路道を交互に歩いてもどる。

 12時45分、大谷のバス停のすぐ近くに、小屋とテラスのオープンカフェがあった。白髪のヒッピー風のおじさんが本を読んでいる。十数年前、Rは「休憩所だ!」とこの店にフラフラと吸い込まれてチャイを頼んでいた。
 津呂の簡易郵便局から左手の遍路道に入る。地面にハッサクがゴロゴロ転がる。もったいない。南国に餓死はない、はずなのだ。

 13時5分「遍路小屋 宿泊可」という小屋がある。洗濯機も流しもトイレも備えている。
 高知に多いもの。
 無人販売、9条の会、忠霊塔、お接待。 昔は高知は接待がない、と言われたらしいが、今では高知が一番多い。善根宿も多い。なんといっても人なつっこい。

 遍路道をたどり、漁港を眺める高台から、急坂を一気に下って窪津の集落に入る。ここもホエールウオッチングをしている。
 大敷網の手入れをしている。巨大な網だから作業も大がかりだ。
 遠くに白い大岐浜が輝いている。浜を望む稜線には白亜のリゾートホテル風の建物がある。そんなのあったっけ? あとで近づくと白亜の廃墟だった。
 14時半頃、以布利方面の細い道へ。「休憩処てまり」という古い小屋がある。青いベンチに腰掛けたらくずれ落ちた。小屋の屋根にはなぜかハヤトウリがたくさん並んでいる。ハヤトウリって乾燥して食べるものなのだろうか。

 ここから遍路道に入る。竹のはびこる山道をのぼりくだりする。山道を川沿いに下ると海岸に出た。道の入口にはお地蔵さんがいる。小石の浜をザクザクと歩き以布利の港へ。おばあさんが2人、浜に座ってだべっている。このムラでも鰹節をつくっている。大阪の海遊館の施設もある。

 15時35分、大岐浜の上に出る。そこから一気に斜面を下ると砂浜だ。行きは川を越えるのがいやで遠回りしたが、砂浜の川は水量が少ない。3歩で渡った。
 長い浜を縦断し、「白亜の廃墟」の裏を通って17時前に民宿に到着した。35キロ歩いた。
 お遍路さん2人が泊まっている。1人は10回以上歩いて回ったお先達。1日40キロ歩いてしまう。もう一人は千葉の男性だ。
 台湾の女性が1カ月間滞在している。アトピーの治療で、有名な先生が土佐清水にいるらしい。
 遍路でははじめて洗濯機を使った。脱水すると、手で絞るより乾くのが早い。

 夕食はハガツオがたっぷり。おいしかった。1泊2食+生ビールで7300円。(つづく)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次