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鶴林寺・太龍寺・平等寺

 昨夜は7時に寝たものだから午前5時に目が覚める。6時半出発。宿のおばあちゃんの教えてくれた近道は「いやしの遍路道」と名付けられている。が、「荒れている」と昨日会ったおじさんが言っていたから正規の参道をえらぶ。

勝浦町役場の敷地にはお社があり、そのなかに「忠魂碑」がたっている。いいのだろうか。

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勝浦の町
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鶴林寺の本堂
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那賀川を渡る
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太龍寺
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縁結び
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太龍寺石庭
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よく見る花だけど……
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畑の中に狛犬が
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魚を捕る罠〓
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平等寺

石畳や石段が整備された登山道はミカン畑のなかをぬける。勝浦町は阿波ミカン発祥の地だそうだ。婦人団体の活動もさかんらしい。そういう進取の気性の地域ってたしかにあるもんだ。どんな歴史の背景があるのか知りたいものだ。

スギの山をのぼって1時間ほどで標高500メートルちょっとの山上にある鶴林寺に到着する。(勝浦は30メートル)山門のなかにも本堂の前にも鶴の像が鎮座している。こういう特徴があると楽しい。8時半発。急坂をくだり、杉の暗い山を抜けると、立派なミカン畑があらわれる。
「昔は山の上までミカンだったがの。40年くらい前にみーんな切って杉になってしまいました。今は糖度が14度以上あって、てかてか光るようなんじゃなきゃ売れん。ここらのは駄目じゃ。金にならん。こんなところ、町の人が1日いるぶんにはいいけど、3日もいればいやになるよ」
同じ過疎地でも「ここはええとこよぉ。死ぬまで暮らしたいねえ」という人が多いムラもある。自分のムラに対する評価の差がでるのはなぜなんだろう……。

立派な体育館のわきをとおり、9時半、水井の休憩所にでる。体育館のある学校はすでに廃校になっているらしい。
「上海陸戦隊戦死……」という碑がある。遍路道はどこにでも戦争の傷跡がみえる。いずれ生傷はかわき、血の記憶がうすれ、たんなる石碑になっていくのだろう。

集落には新興宗教と思われる巨大な建物がある。弥生式の神殿を模したようであまりよい趣味とはいえない。
「なあ、犬の生首が落ちとった。へんな宗教の生け贄かなあ」とレイザル。まさか……

那賀川の清流をわたる。乗用車がようやく1台わたれるほどの狭い橋で家族づれとすれちがう。なつかしくほほえましい風景である。逆に、新興宗教のあぶない儀式にむかう一家だと想像すると、善人の表情こそがおそろしく感じられてしまう。「悪魔」ビンラディンよりも「善魔」ブッシュのほうがどれだけ多くの人を殺しつづけているか。「善」というのは実はおそろしいものなのだ。

支流の若杉谷川沿いの小径をたどり、急な登山道をのぼりきると、標高450メートルほどの尾根にでる。寺までの参道の沿いには巨大な杉が何本も何本もある。
太龍寺の門をくぐるとそこは別世界のよう。白い小石がしきつめられた庭の桜の葉は、薄赤く染まり、藤棚のフジも紅葉している。11時20分着。

本堂まではさらに鐘楼をかねた山門をくぐって石段をのぼる。小さなお地蔵さんが何体もならび、赤いよだれかけやら毛糸の帽子やらをかぶせられていている。
下からはロープウェーの音がきこえてくる。車だと駐車場から急坂を1キロほど歩いてのぼらないといけない。年寄りにはロープウェーのほうがよかろう。

木の肌がえぐれた部分?に数百枚という小銭がつみあげられている。その前につきでた枝が円を描いている。「縁結び」なんだそうだ。
友人のNちゃんは、縁結びを願って友人らと一緒に九州の寺?に行って5万円のお札を買ったそうな。その寺の言いつけを守った友人たちは結婚できたのに、言われたことを守らなかったNちゃんは未だに独身だ、と嘆いていた。ま、そういうものを信じる人は尽きないってことだ。

寺の売店はオリジナル商品が豊かだ。手ぬぐいを購入する。 太龍寺も標高500メートルちょっとある。きょうは500メートルを2つのぼったから1000メートルの標高差をのぼったのと同じだ。土小屋から石鎚山頂までの1.5倍というところだろうか。

車用の参道を歩いて4キロ下の麓におりる。12時50分、龍山荘という民宿前を通過する。大きな風呂もあり、庭もしっかり手入れしてあって、感じがよさそう。
県道を歩いていると車がとまっておじさんがおりてくる。
「お遍路さん?」
「は、まあ」と口ごもると、
「法事でもらいもんだけど」とまんじゅうを2つくれる。
「で」といって手振りで納め札の形をしめす。
納め札というのはやはりありがたいものなのだ。〓歩く側だけでなく、接待する側にとっての納め札の意味も知りたいなあと思う。キリスト教的な無償の慈善なのではなく、なんらかの「功徳」を信じるのだろう。

14時、「道の駅」はさびれているが、トイレがあるのはありがたい。350円のうどんをすする。
本日最後の山登りは「大根峠」である。静かな谷間の集落。水田の用水路の石垣の雑草を、おばあさんが掃除している。
「石垣もだいぶいたんでるけど、修理もできんしねえ。夏はマムシがいるし、今しかできんのよ」
峠道の手前には「ご自由にお使いください」と竹の杖がおいてある。たかだか200メートルの峠だと気を抜いていたら、けっこう急な坂がつづく。とくに下りは長かった。
暗い杉や竹の山だが、昔はたぶんミカン山だったのだろう。荷物運搬モノレールのレールがときおりあるからわかる。
山をおりていくと、牛がお出迎え。大根畑のどまんなかにテントがたち、「お接待」ののぼりがはためいている。でもなぜ「大根峠」なのだろうか〓。

16時前に平等寺に到着。山門の仁王さん、ちょっと小柄で愛嬌がある。宿泊は「平等寺から8歩8秒」という看板どおり、すぐ隣にある「山茶花」という民宿だ。
「寺の本堂より古いんちゃうか」とサルはおそれていたが、部屋はきれいだった。ただ、宴会場に使っていた部屋だから24畳もある。ステージが物置になっている。風呂は大きくて気持ちがよい。

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