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遍路⑫お経と歩行 金剛頂寺-神峰寺20200208

 朝食もブリかま焼きなどの大ごちそう。タオルや歯ブラシのサービスもあるのに6500円と、たいがいの民宿よりも安い。札所の宿坊ナンバーワンという人も多いらしい。
 7時発。台地状の山の上の畑のなかを歩き、本来の遍路道ではなく農道をたどって途中から右手の山道に入ると、照葉樹林の森の社があり、さらに国道まで下ると目の前が「不動岩」だった。不動堂は、寺が女人禁制だった明治初期まで女性のための納経所だった。

 不動堂の裏手に「空海の修行の地」と「御厨」がある。御厨は岩にうがたれた洞窟が2つ並んでいる。左手の洞窟は奥深い。

 入口がコンクリート枠で補強してあるが、洞窟内から見ると、まさに空と海が一幅の絵のように望めて、波の音だけが響いてくる。室戸岬の御厨窟の比ではない。今でも伝説の雰囲気を味わえる。「明星が空海の口に入った」という伝説については、御厨は南向きだから金星は見えないが、もうひとつの小さな洞窟ならば西向きだから宵の明星は望める。「御厨人窟が弘法大師が修行した場所と言われているけど、あれは司馬遼太郎さんがあまり調べずに書いたから広まっただけ。南海地震のたびに標高が上がっている唐、当時御厨人窟は水浸しだったはず。本当の修行の場所は不動岩です」と寺のおかみさんは力説していたが、説得力があるように思える。

 8時35分、重要伝建に指定されている吉良川のまちに入る。旧土佐街道沿いになまこ壁の蔵が点在する。蔵をつかった遍路宿兼カフェもある。

 旧郵便局の建物もかわいい。ただ、どこにもトイレがないのには困った。
 このまちはずれにもまた「忠霊塔」があった。
 まちなみの出口の橋を渡り、さらに旧道をたどって国道に合流した。
 10時、国道の橋で羽根川を渡ってから右手の旧道に入る。羽根地区は落ち着いた農村集落だ。目の前の山を越える峠道に入るつもりだったが、見つからない。地形図がほしかった。

 集落を抜けて国道にもどり、海岸線をまわる。漁港わきでは大敷網を干している。
 紅葉マークの軽自動車が目の前で急停車した。急病かと思って近づいたら、おじいさんがスーパーのレジ袋を差し出して「パン、パン!」。今回はじめてのお接待だ。メロンパンとアップルパン。前回は、昼飯は2人でおいしいものを食べたいから、食べ物のお接待はありがたくなかった。今は昼飯を抜くつもりで歩いているから、本当にありがたい。
 「土佐備長炭発祥」という看板があちこちにある。和歌山から技術が伝播したのだろうか。
  11時すぎ、奈半利町に入る。加領郷漁港は「金目鯛の里」で食堂もやっている。「サンゴの見えるまち」「日本一のゆずロード」と、いろんな宣伝文句があるまちだ。
 国道を歩くとき、足下を見て歩くとしんどくなる。足の痛みや疲れを意識して、引きずるような歩き方になってしまう。
 無言で歩いていると背が丸まりがちだ。目標地点を見定めて般若心経を唱えると、無心になって足の痛みを忘れるせいか、ペースがあがる。歌もよい。小学校の合唱コンクールでうたった「気球に乗って」や「銀河鉄道999」「岬巡り」「イムジン川」などがぴったり。だめなのは「宇宙戦艦ヤマト」。粘っこい歌詞はは合わないのかも。経は意味がはっきりわからないのがよいのだろう。
 正午までに18キロ歩いた。

 巨大な貯木所がある。奈半利は木材の集散地だったのか。まもなく旧道にそれて奈半利のまちに入る。ここも土蔵が多い。蔵で営業する薬局もある。
 奈半利駅で休憩し、いただいたパンを食べた。
 奈半利川をわたった田野町は「日本一小さな町」なんだそうだ。国の合併圧力に抵抗した町長がいたのだろう。


 旧街道はシャッターを閉じた商店だらけ。朽ちたパチンコ屋も。すべての店が営業していたころの遍路道は楽しかったろう。

 避難タワーの近くに「美丈夫」という酒蔵がある。裏から見ると3階建ての蔵建築になっている。
 集落は延々と続く。
 海沿いに墓地がある。数十年に一度は津波にあらわれるのだから、遺骨が流されるのが前提だった時代があったのだろう。海人の水葬の名残ではなかろうか。

 安田川をわたり、安田町の中心をすぎ、松林の唐の浜が見えてきた。その正面にある民宿「とうの浜」には14時に着いた。
 「まだ神峰寺までいけます」と言われて、ウエストポーチだけもってすぐ出発した。

 海辺の民宿から水田のなかを北上する。ビニールハウスだらけ。「促成栽培は安田が本場…満州にも」と野口有情がうたっていたという。「高知県蔬菜園芸発祥の地」という案内板には、大正7年のキヌサヤエンドウからはじまったと記されている。
 鉄道をくぐり、川沿いにさかのぼる。途中から山道に入る。

 15時5分に神峯寺に着いた。
 途中見かけた、埴輪のようなオブジェは「同行2人」の文字をかたどって大学の先生がつくったらしい。
 本堂まではさらに140段の石段がある。その前に、岩の間を流れ落ちる山水の手水舎でのどをうるおす。

 石段からは、うっすらとけぶる太平洋が一望できる。本堂の標高は450メートルという。

 40歳ぐらいの女性が読経している。目を閉じると、風の音に包まれて浮いているように思える。意味が明確でないお経があるから、全身が自然のなかにとけていくように感じられるのだろう。歌では意味の力が強すぎてその効果はなさそうだ。
 この感覚、ハワイの結婚式でも感じた。僕らと仲人役の日系人のおじいさん、カメラマンしかいなかった。教会は開け放たれ、風が心地よかった。その時の浮遊感覚を思い出した。
 おばあちゃん2人が息を切らして石段を登ってきた。「歩き遍路なの。えらいねぇえ。きっといいことがあるわよ。私なんか歩きじゃないのに、車いす生活から歩けるようになったのよ。歩いてる人にはきっといいことがある」と力説していた。「いいこと」って、何も思いつかないんだけど。

 16時50分に宿に着いた。33キロ5万歩。
 宿の男性は、遍路は何度も歩いて悟りのようなものを感じてきた。「エゴが消えれば、歩くのがつらいという感覚もなくなるんです」「どんな境遇でも心の持ち方で幸不幸はかわってくる」「すべての生命はひとつなんです」。そうなのだろう。でもそれを実感するのは難しそうだ。

 1泊夕食つきで5500円。ビールと焼酎を加えて6500円だった。(つづく

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めてのお接待良かったですね。最近はこの伝統も薄れてるんでしょうかね。
    それにしてもお遍路で車いすから歩けるようになったのはすごい。

  • 冬は遍路も少ないから、お接待も少ないんです。でもまだまだこの伝統は生き残っていますよ。

    「お四国病院」と言われるだけあって、いろいろな奇跡が起きているようです。

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