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遍路⑲超ペースの最終日 佐賀〜入野20200215

 朝食を食べて7時半出発。いつもより出発が1時間ほど遅い。
 川の右岸に渡り旧道をたどる。伊与喜川は里と山の境を蛇行して優しい風景を作っている。静かな道で心地よい。

 伊与喜駅の近くから山越えの遍路道を歩くつもりだったが、通行止めだから国道をたどった。
 9時20分、左手の佐賀のまちに入る。

 港の規模が大きく、人口も多そうだが、商店などはほとんど見かけない。港の出口に小島がある。これもまた港を守る守護神の役割を果たしてきたのだろう。

 海沿いの消防署は津波想定のためだろう。廃止されていた。

 国道沿いのビニールハウスのなかに紙すきの四角い容器のようなものがならんでいるのを見かけた。「土佐の塩丸」という看板があった。底の浅い容器に海水を入れて、ビニールハウスの高温で濃縮させているのだろう。いろいろな作り方があるんだなぁ。
 10時40分、灘漁港には「鯨の見える町」という案内板がある。旧大方町だ。
 漁港の端のトイレがある休憩所で休む。きょうも時速5キロ近い。入野発15時17分の列車に乗る予定だったが、このペースなら13時半の特急に間に合いそうだ。

 11時半、十数年前に泊まった民宿「海坊主」。あのときは5月だったか。翌朝はまだ暗い5時台から歩き始めた。建物は昔のままだけど、だいぶ古くなっている。
 上川口という大きな集落も、ホエールウオッチングの拠点らしい。「朝鮮国女の墓」は、どんないわれがあるのか調べてみたい。

 「反原発」「…ゴミ捨て場にするな」と大書きされた小屋がある。「自民党と共産党の共謀で…」という文言も目を引いた。さらに「蜷川澄村」の名前が。京都の選挙でしばしば立候補していた泡沫候補だ。高知と何か関係があったのだろうか。小屋のわきには京都ナンバーの古い車が放置してある。
 海沿いは民宿だらけ。サーフィンや海水浴などの客が泊まるのだろう。
 まもなく入野浜が見えてきた。
 正午、けたたましいサイレンが鳴った。スマホを見ると歩行距離は20.9キロ。出発が遅かったのに、午前中の踏破距離は今まででもっとも長くなった。

 広大な入野浜は松林が美しい。海浜公園の野球場では専修大学の野球部が合宿している。
 12時48分、土佐入野駅に着いた。
 ここから広島のAさんは先に向かう。年齢は彼の方が3つ上で、歩く速度がほぼ同じだった。なかなかおもろい出会いだった。24.6キロ歩いた。

 13時半の特急「しおかぜ」に乗って高知市に向かった。
 カメラの電源が壊れOFFにできなくなった。故障が最終日でよかった。(つづく

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