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遍路㉝石鎚黒茶 横峰寺~湯之谷温泉20200308

 麓のファミマに荷物を預けて空身で横峰寺を往復できると聞いたが、山道を歩けないのはもったいない。

 小雨が降るなか7時発。国道11号をちょっともどって右折し、川沿いにさかのぼる。7時15分、「石土神社の高灯籠」という灯台のような塔がある。石土神社の式年祭記念で1931年に建立された。コンクリート製の灯籠は珍しく、登録有形文化財になっている。

 しだいに道幅はせばまる。8時20分、立派な神社があるが廃屋だらけの集落に着いた。軽トラックのおじさんに話しかけると、「ここは昔の千足山村、石鎚村のユーナミや。今も2、3人住んどる。昔はここは山道しかなかった。こんな山奥も弘法大師は来た。札所はすごい。なくならん。昔のお遍路は米や麦を恵んでもらってた。今のお遍路さんは金持ちや。なあ、そうやろ?」。

 旧石鎚村は曽我部さん夫妻しかいないと思っていたが、ここにも少なくとも最近まで人がいたのだろうか。湯浪(ゆーなみ)という響きが古い民俗を感じさせる。きっとさまざまな伝説があるのだろう。「元気でがんばりやー!」と大声でエールを送ってくれた。不思議なおじいさんだった。

 8時40分、湯浪休憩所。ここから登山道がはじまる。雨で滑るのをのぞけば歩きやすい。谷沿いの急坂をのぼる。

 9時50分、山門前に出た。11.9キロ。霧雨が降りつづいている。
 納経所の一段上に本堂と大師堂がある。標高750メートルだから霧が冷たい。足を止めると寒さがじんわりしみこんでくる。
 旧石鎚村で最後まで山の家に残っていた曽我部さんについて尋ねると、納経所の若いお坊さんが「山を下りたけどお元気だそうです」「せっかくのご縁です。曽我部さんがつくっていた黒茶を、今はNPOがつくっているので、お接待します」と、最中と黒茶を出してくれた。曽我部さんの黒茶よりもマイルドだが、プーアール茶や碁石茶とも共通する独特の酸味がおいしい。暖かいお茶で心まであたたくなる。

 10時20分発。車道ではなく延々と山道を下れるのがうれしい。一人で歩く山道は適度な孤独が心地よい。雨がやみ、空が明るくなってきた。
 逆打ちの遍路2人ととすれちがった。
 樹間に瀬戸内海の島やしまなみ海道、周桑の平野を望みながら下る。
 林道に出てさらに10分で白滝奥の院に着いた。コンクリートのお堂にはありがたみは感じない。昼飯代わりのカロリーメイトを食べた。
 大谷池という巨大なため池のわきを歩いて高速道路をくぐる。池のほとりに中務茂兵衛の「高徳碑」がある。山口県の生まれ。なぜここに碑があるのかはわからない。
 レモンの果樹園があった。昔は岩城島などしか作っていなかったが、最近は増えているんだろうか。

 遍路道を下ると、高嶋神社という大きな神社の境内に出た。本殿のわきに小さな社がずらりと並んでいる。合祀によるものだ。合祀が、里にあった素朴な信仰をどれだけ破壊したか想像に難くない。

 神社の正面におりて右に曲がると、13時20分、香園寺に着いた。前回来たとき「デラックス香園寺」と名付けたが、大仏殿のように巨大なグレーの建物は威圧感がある。

 本堂も大師堂も階上のコンサートホールのような空間に収容されている。新興宗教の施設のようだ。

 14時、国道11号に出てすぐに宝寿寺に着いた。国道のわきのこじんまりした寺で、香園寺とは正反対。でもここはしばらくのあいだ、霊場会ともめて、納経料を高くしたり、納経時間を狭めたりして問題になっていた。

 寺から数分で小松駅だ。駅前にMARUBUNという洋食店があり、ミートソースの香りがする。人気店で若者が並んでいる。この店もRが目を付けて入った。おいしかったなぁ。でも2度と入ることはないんだろう。

 国道をさらに15分で吉祥寺に到着する。山号が「密教山」。門前になぜか象が並んでいる。
 国道わきなのに境内は広い。池のまんなかの八角形のお堂に七福神をまつっている。赤い垂れ幕をめくるとそれぞれの像を拝める。本尊が毘沙門天だから、残りの6体もまつっているという。「ポックリさんおまもり」もある。それって昔はやった「こっくりさん」と関係あるのかと思ったら、ちがった。ポックリ死ねるお守りなんだそうだ。
 国道を渡り、山側の旧道をたどる。
 15時28分、楢木という場所に藤棚とお堂と集会所があり、その前に「記念碑」が立っている。
 阿弥陀堂と周囲の敷地が楢木のものと信じていて、昭和62年に集会所建設の補助金を申請する書類を提出したら、「楢木の土地ではない」と返却された。証拠書類をさがすなどして平成4年に楢木東自治会の物となった。「東と西の自治会の共有財産であることを銘記し…」と記されている。つい最近でもそういう土地問題が起きていたのだ。

 15時45分、石鎚神社。すぐに前神寺の「惣門」。29.7キロ。この寺は明治初期まで今の石鎚神社の位置にあったが、廃仏毀釈で廃寺になった。明治11年に現在の場所に「前上寺」の名で再興を許され、以前の「前神寺」の名が許されたのは明治22年だった。明治はまさに文革だった。前神寺は、石鎚派修験道の本山として30万人の信徒を抱えるという。

 門から100メートルほど山に上がると、納経所と大師堂がある。西条は、石鎚があるから水が豊富だ。境内にもあちこち山水があふれている。大師堂からちょっと登ったところが本堂だ。
 納経所のおじさんは「廃仏毀釈で、石鎚神社のある場所から追い出され、そこに石鎚神社がつくられた。神社には石鎚の神様である石鎚大権現はいない。こちらにいる。成就社も山頂ももとはみな前神寺のものだった」と語った。毎月20日の夜に、修験の人が集まってごまたきをしているという。
 午後の斜めの日が射して、雨上がりの風景はみずみずしく哀しくきらめいている。
 寺から湯之谷温泉までは500メートルほど。
 ゲストハウスは3700円弱。1室に2人詰め込まれたら狭いけど、1人なら天国だ。温泉は源泉掛け流し。
 国道沿いのコンビニで、中華丼と煮豆、ビール、梅錦のカップ酒を買って談話室で食べた。(つづく

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