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能登1周 20191020-21

  能登は思い出が多すぎて足を踏み入れられなかった。でも関西に引っ越したら二度と行かなくなりそうだ。天気がよいし、ヒマだし、思い切って自動車に乗った。

 5年前には自転車で走った(その時のことは「北陸の海辺自転車紀行」にまとめています)海岸線をたどる。京浜工業地帯の父、浅野総一郎を記念する「九転十起」の碑までくると海が澄んで能登の色を感じる。浅野の足跡を展示する「帰望郷館」は閉鎖してしまったようだ。

 七尾を越え「花咲くいろは」の舞台になった西岸駅に近づくと、鏡のように静かな海にカキ養殖のいかだが浮かぶ。能登のカキは小ぶりだけどくさみがない。「カキ祭り」では「おいしい!」と叫んで口いっぱいにほおばっていた。

 穴水町の中心を通過して、かつて鋳物や左官で栄えた中居の「鋳物館」に車を置いて集落を歩く。格子戸のある立派な家々が左官全盛時代を物語る。夜祭りの日に散歩した際、立派な造り酒屋が「売り家」となっていた。その建物は取り壊されてしまったようだ。

 海岸の細い道をたどる。ブタクサの黄色い花があちこちにはびこっている。「俺が死んだら桜忌かな。チンが死んだらブタクサ忌や!」と言ったら「ずるい! でもブタクサの存在感って私に似てるかも」と怒りながら納得していた。

そんなことを考えると海を背景にしたブタクサも美しく見えてくる。

 曽良の千手院は「縄文未来研究所」の看板がある。「縄文焼き」でランプを作り、夏には「盆灯」のイベントを催している。ここの女性たちがつくるかぶらずしは絶品だった。(「能登の里人ものがたり」参照)

 広々と開けた甲の集落をすぎたところにあるかつてのYHは「かつら崎 海の家」になっている。沖波は、海で乱舞するキリコ祭りが興味深かった。

 しばらくすると外海が近づいて波が立ちはじめた。鵜川で国道に出てまもなくの海辺にパン屋とカフェがある。何度も何度もここでパンとコーヒーを楽しんだ。

 宇出津は「あばれ祭り」を見に来て、「お呼ばれ」のごちそうにもあやかった。

 宇出津からは内陸に入り、旧柳田村の中心部から山を越えて金蔵へ。

 慶願寺の渡り廊下を使ったカフェ「木の音」は開店している。お寺の奥さんは僕の顔を見て「久しぶりですねぇ」と覚えてくれていた。

 金蔵は夏の「万燈会」が美しかったけど、高齢化と資金難もあって2016年を最後に終わった。でも30歳ぐらい男性が帰郷して、高齢者の水田を一手に引き受けて耕作している。Iターンの若者もわずかながら入ってきた。これまでの活動は無駄ではなかった。

 市役所は「千枚田」にはカネをかけているが、金蔵のような集落にはほとんど補助しないのだろう。「世界農業遺産」を観光資源ぐらいにしか認識していないのが悲しい。

 千枚田を経て17時すぎ、かつて住んでいた家に近い「新橋旅館」(素泊まり5400円)にチェックインした。

 夜、友人4人と飲み会。昔通った店は予約は取れず「わじまんま」という新しい店に入った。さすが輪島の刺身はうまい。

 中島酒造という小さな酒蔵の酒は素朴な味だったが、おやじさんが亡くなって息子が跡を継いだのか、洗練されたような気がする。やっぱり輪島には2人で来たかった。

 翌朝、役場のスピーカーから流れる懐かしいメロディで目を覚ました。この放送をひとりで聴くことになるとは。

 3階建て民家が軒を連ねる海士町方面へ歩く。海士の人々の家の玄関には必ずしめ縄が飾ってある。「秘密結社の印みたい」と話していた。巨大な糸巻きのようなものを先端につけた漁船も懐かしい。

 輪島崎に入り路地を入ると商店のドアが開き、「輪島海美味工房」のSさんがゴミ袋をもって出てきた。「あっらぁぁ、久しぶりですぅ」。工房のイベントをRは手伝ったことがあった。Sさんも40代で連れ合いを亡くした。「最初の3カ月は体がまったく動かなかった。気持ちが癒えるまで3年はかかります」。3年で癒えるというイメージはわかないけれど。Rが会わせてくれたのかもしれないな。

 鴨ケ浦へ。「鴨ケ浦塩水プール」は2018年に登録有形文化財に指定され、碑が立てられている。昭和10年ごろから岩礁を切り下げてプールとし、昭和24年ごろまでに原型ができ、昭和30年代にコンクリートのプールサイドが完成した。自然に海水が出入りしてそうじも消毒もいらないプールだった。

 トンネルを抜けて砂浜の袖ヶ浜へ。テントがいくつもある。海水浴やジョギングも楽しい浜だった。

 まちにもどると、マリンタウンの入口に「輪島ふぐ 天然ふぐ漁獲量日本一!」という碑ができている。最近はフグをPRしているらしい。

 朝市を歩く。おとみさん母娘がいた。あいさつすると「お久しぶり。元気だったぁ?」。「妻が亡くなった」というと一瞬かたまり、「びっくりしたー」「鳥肌が立ってきたぁ」。覚えてくれているのがありがたい。

 振り売りのMさんがいた場所に行くと「腰を悪くして振り売りも販売もやめた」と言う。本を1冊渡したら「私も本が好きだから読んでから渡す」。

 キリモト本町店の店員さんは「Rさんにはいろいろ教えてもらって、大阪ではおごってもらいました」「修理があったらいつでももってきてくださいね」。あかん、涙腺がゆるむ。早々に退出する。

 毎日使っているごはん茶碗は吉田漆器工房で買った。Rのお椀をいとこにゆずったら「手に吸いつくみたい」と喜んでくれた。そのことを報告しようと思ったが、接客中だから店には入らなかった。

 ぶらぶら歩いていたら市の公用車から「フジーさん!」。大きな体と大きな声と満面の笑顔はBくんだ。

 行きつけだった高田酒店に行くと、奥さんが驚いて「けさ奥さんの漫画をもう一度読んで、大笑いしたばかりだったから驚いたぁ」。旦那さんは逆に神妙に「明るくいつも楽しそうにしてらっしゃった…」。そういう話は涙腺に悪い。あわててお勧めしてくれた「手取川」の山廃を手に取った。石川県内しか流通していない酒だという。

 かつて住んでいた路地の入口まで行ったが、人影が見えたからあわてて逃げた。あいさつするにも何を話してよいかわからないし、耐えられそうにない。未練はあるけれど、車に乗り込んで11時ごろ出発した。

 刀祢建設の干物の販売所に立ち寄ったが、開いていなかった。

 曽々木の窓岩をスケッチをした。知り合いにあいさつしようか迷ったが、やめた。

 角花さんの塩田で塩2袋(800円)を購入。隠れ家のような浜が魅力の木の浦海岸へ。何度か泳ぎに来て、Rの友人たちがスタッフをするカフェで食事をした。カフェはお客さんでいっぱい。以前にあった映画のセットの小屋は撤去されていた。

 ちょっともどって椿茶屋を訪ねる。

 ここも繁昌している。入ったとたんに「アー! 久しぶりー。驚いたぁ」。

 外のテーブルに座った。Rのことを話して退職すると告げると「燃え尽きたんやねぇ」。いつもの「でまかせ定食」。ブリの頭の煮付けがおいしい。こういう料理はもう家では食べられないからありがたい。野菜もたっぷり。「大阪に遊びに来てね」と連絡先を教えてさよならした。

 横山の集落に名物のかかしがずらり。レイザルそっくりのをみつけた。

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 狼煙の道の駅に車を置き、禄剛崎灯台まで歩くと工事中だった。何十回と来ているが、ひとりではおもしろくもなんともない。

 道の駅で大浜大豆の豆腐(350円)を買った。駅長は新さんから二三味さんに交代したという。

 珠洲市中心部の乗光寺に行ってみたが、元青年海外協力隊員が門前でやっていたカフェ「小さなおうち」はなくなっていた。どこかに移転したんだろうか。

 「味知の駅能海山市場」で野菜を買って帰途についた。

 能登を歩くのはつらいけど、能登の人はやさしい。
「能登はやさしや土までも」が、久しぶりに来るとよくわかる。

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