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瑞龍寺と星の王子さまの写真展 20191018

 高岡の瑞龍寺に出かけた。加賀藩の2代藩主前田利長の菩提寺として建てられた、国宝や重文だらけの寺だ。
 一国一城になって高岡に城を維持できなくなり、城がわりでもあるから周囲に堀が巡らされていたという。
 ふつう寺は南向きだが、ここは東向きで正面は立山だ。立山信仰の影響か、あるいはずっと東の日光東照宮への恭順を誓うためという説もあるんだそうだ。後者の説はにわかには信じがたい。

 国宝の仏殿は総欅造で、鉛板で葺かれている。屋根裏からじゃらじゃらと装飾がぶらさがり、彫刻も複雑だ。
 といってもぼくには建物の価値はわからない。曹洞宗は父の墓がある寺と同じだから多少の親しみを感じた程度だ。

 山門をスケッチしてみる。鉛筆で寸法をはかったつもりだけど、今にも倒れそうなアンバランスな建物になってしまった。でも、お絵かき教室で教えてもらったばかりの方法で陰影をつけてみたらとりあえず寺の建物だとはわかるようになった。小学5年生レベルにはなったかな。

 ミュゼ福岡の「安珠写真展」へ。少年少女の成長を撮影してストーリーにしている。
 「星をめぐる少年」は、「星の王子様」がモチーフだ。星の王子様のパイロットと王子様の出会いを再現したものと、舞台を東京に移し、パイロットを生きがいを見出せない靴職人にした物語を写真で表現している。「大切なものは見えない」という言葉を、以前はその言葉どおり読んでいたが、こうして改めてビジュアル化したものを眺めると、王子様は「死者」だったのだと気づく。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に近い話だったんだな。
 夢や希望はわかりやすくて目に見える。でもそれを失ってなお、大切なものがあるのか? と問うている。そう考えると、サンテグジュペリの小説は、この世とあの世のあわいを描いていたことになる。もう一度、「星の王子様」を再読してみよう。今なら以前と異なる発見があるかもしれない。
 十数年前、「展望がないから若者は社会運動にかかわらなくなったのでは」と僕が言ったとき、愛媛の農村福祉の運動の中心人物は「私たちも展望なんかありませんでした」と言った。彼を動かしていたのは「展望」や「夢」よりもう一段深い何かだったのかも。それは「死者」とつながっていた、とまで言うと飛びすぎかもしれないけど。
 夢や希望の消えた世界に生きる意味のようなもの、それは仏教の世界観に近いのかもしれない。

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