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1200年の「消えずの火」がともる宮島

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 JR宮島口駅でおりてフェリーに乗った。宮島はゴツゴツとけわしい山がつらなっている。修験の信仰があったことが、山容を見るだけでよくわかる。厳島神社のご神体も、本来はこの山だったのだろう。(202112)

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清盛由来の世界遺産

 土産物店が軒をつらねる参道を歩いて、世界遺産の厳島神社へ。

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 海中の鳥居が有名だけど、寝殿造りの様式を採用した社殿が豪壮で美しい。平清盛の財力と権力がよくわかる。
 干潮の時間帯は沼地の上にあるように見える(上)が、満潮になると海の上に浮かぶ水上御殿に変化する(下)。

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元祖もみじ饅頭の谷の堰堤

 弥山(535メートル)にのぼる紅葉谷川の登山道に向かうと、あちこちに「もみじ饅頭」の店がある。広島名物として有名だが、宮島がその元祖とは知らなかった。
「岩村屋」という店で1個100円のもみじ饅頭を味見した。小豆がほくほくで甘さ控えめ、生地はしっとりしている。おみやげでいただくもみじ饅頭とはレベルがちがうおいしさだ。
 紅葉谷川沿いをさかのぼると、石積みの砂防堰堤がいくつもあらわれる。
 1945年の枕崎台風後につくられた。史跡名勝地にふさわしいように、コンクリートが見えないように工夫された。重要文化財に指定されている。  
 1時間ほど急坂をのぼるとロープウェーの駅からの道と合流し、まもなく「霊火堂」に着いた。

神の島、死ぬと「ヒロシマに行く」

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 建物のなかに大きな茶釜があり、その炭火の「消えずの火」は弘法大師空海が護摩を焚いて修行して以来、燃えているとされる。
 聖なる火は、記憶力を高めるという虚空蔵求聞持法の修行と結びつき、もとは求聞持法堂のなかにあったが、昭和のはじめに焼けて外へ出され、その後は霊火堂にうつされた。 霊火堂も2005年に焼失して再建されている。
 この火は原爆広場の平和の灯の元火のひとつとなり、さらにその火が、四国の88番札所の大窪寺にうつされて「原爆の火」となっている。
 消えずの火の信仰は、東北の羽黒山や立石寺にも見られ、仏教以前の祖霊信仰などと結びついている。
 伊予の北では、亡くなった人の霊は厳島の弥山に行くという信仰があり、人が亡くなったとき「あの人は広島にたばこを買いにいった」と言ったという。伊予だけでなく、西日本各地に「ヒロシマに行く」という言い方がある。
 宮島は神の島だからケガレを極端に嫌った。島内に墓地はなく、対岸の赤崎に埋葬されてきた。宮島ではその風習がもとになって人が死ぬと「広島に行った」と言うようになり、厳島信仰の 広がりとともにそれが各地に伝播した。
 「別府に行く」(愛媛県八幡浜市)や「大阪にいく」(愛媛県西海町)という言い方は、「広島へ行く」の変化形だという。(大本敬久「民俗の知恵 愛媛八幡浜民族誌」)

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 お堂からちょっとのぼった弥山の頂上は巨岩が折り重なってできている。瀬戸内海の島を一望できる。

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 巨岩の下の洞窟で雨露をしのぎ、頂上の岩の上で火をたいて海の神に献げたのだろう。仏教以前の信仰を感じる。

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毛糸の頭巾のお地蔵さん

 帰りは白糸川の谷を下った。
 2005年9月の台風14号で崩落し、3年かけて登山道などを復旧した。石積みの砂防ダムは見なれたコンクリート製とはちがって美しい。

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 ふもとにある大聖院は真言宗御室派の「大本山」だ。(総本山は仁和寺)
 チベットの寺のようなマニ車がならび、摩尼堂や勅願堂、観音堂……と立派な建物が並ぶ。お地蔵さんや五百羅漢は毛糸の頭巾をかぶっている。

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 「宮島ビール」という地ビールと焼き牡蠣を味わって帰りのフェリーに乗った。名物の穴子丼を食べそびれたのは心残りだった。
 

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