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花巻でイーハトーブのなごりをさがす 宮沢賢治めぐり

プランターがない風景のやわらかさ

 花巻は1998年3月と99年夏におとずれた。冬のイギリス海岸も、夏の風景も心にしみた。
 1999年夏にYHで一緒になった関西のOLが、イギリス海岸周辺の風景に感動してしゃべりつづけていたのをおもいだす。
「関東から神戸に引っ越して、山並みに住宅がとけこんでて海岸もあってきれい、と感動して以来の感動やわ。オーストラリアでもイギリスでも、こんなもんかってかんじやった。こんな新鮮にきれいとおもえるなんて、(宮崎駿男の)『おもひでポロポロ』みたい。朽ちているかんじがなくて、終わってるドライブインもないし……」
 たしかに、夏の花巻は、あざやかなで、しっとりしていた。花を植える町は全国にあるけど、プランターをつかわず地面に植えているからやわらかな風景になるようだ。

イギリス海岸の泥岩層をみつけた

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 今回(2023)、新花巻温泉のホテルに「全国旅行支援」で6000円で泊まり、24年ぶりに花巻をあるいた。
 まずは「イギリス海岸」へ。雄大な北上川河畔はツツジが満開でウグイスの透明な声がひびく。
 イギリスのドーバー海峡の白亜の海岸を連想させる泥岩層が渇水期に露出することにちなんで宮沢賢治が名づけた。上流にダムが整備されて水位が下がらなくなり、最近はめったに見られなくなったが、賢治の命日の9月21日には、5つのダムなどで水量を調整して水位を下げているそうだ。
 イギリス海岸の風景の痕跡をさがして上流へ100メートルほどさかのぼると、支流が流入する場所に白っぽい泥岩層が露出していた。たしかにドーバー海峡のミニチュアに見えなくもない。

本場のドーバー海峡

浄土真宗から日蓮宗へ

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 イギリス海岸から20分ほどあるいた市街地の一角に「宮沢賢治生家跡」の碑があった。生家は1945年8月10日の空襲で焼けた。戦後にたてられた洋館風の住宅は賢治の弟の家族がすんでいるらしい。

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 JRの線路をくぐって郊外にむけてさらに20分、鼬弊稲荷神社という風変わりな神社の先の身延別院身照寺が賢治の菩提寺だ。門前に「賢治氏悲願建立の寺」という看板がある。えっ? 賢治って、寺まで創建したんだっけ?
 境内はしだれ桜が何本も植えられている。芝生がしきつめられた現代的な墓地の一角に、賢治供養の五輪塔と宮沢家の代々墓がたっていた。
 もともと宮沢家は浄土真宗で、賢治の父は菩提寺・安浄寺の檀家総代もつとめる熱心な門徒だった。賢治が田中智学がつくった日蓮宗系の「国柱会」に心酔すると親子げんかになった。
 身照寺の前身「日蓮宗花巻教会所」が1928(昭和3年)に設立される際、賢治の叔父・宮沢恒治らが堂宇を建立して寄進した。このとき賢治は、「法華堂建立勧進文」をしるした。教会所は戦後の1946年に「身照寺」になった。
 賢治が1933(昭和8)年に亡くなると安浄寺に葬られたが、宮沢家はその後、日蓮宗に改宗し、1951年に墓も身照寺にうつされた。供養塔は1957(昭和32)年にたてられたという(1955年という資料もある)。

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 寺のすぐちかくに図書館や文化会館、「ぎんどろ公園」という風変わり名前の公園がある。この場所に賢治が教鞭ととった花巻農林学校があった。
 賢治はここまで自宅から20分あるいて通勤し、生徒たちとしばしばイギリス海岸まで散策した。私もイギリス海岸まで歩いたら40分かかった。この程度の距離を往復するのは、当時はあたりまえだったのだろう。

賢治の詩は、最先端の哲学・科学

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 小高い山の上にある宮沢賢治記念館を見学した。
 自然・芸術・宗教……といったテーマごとに、賢治に自筆原稿の写真をならべている。
「クラムボンは笑ったよ…」「星巡りの歌」……教科書などでよんだなつかしい文章がならぶ。

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「春と修羅」は1924年に1000部を自費出版した。これらの詩集を賢治は「詩」ではなく「心象スケッチ」とよんだ。
 鎌田東二によると「春と修羅」はポエムではなく、仏教的唯識論と科学的認識論、未来科学の構想をしるした哲学の断片だという。
「わたくしという現象」を「電灯」とし、その電源は「銀河系統」「第4次延長」「久遠実成の本仏」(永遠の仏)ととらえた。森羅万象の変転をうみだす源が「久遠実成の本仏」とかんがえた。当時、心の深層のはたらきを研究する変態心理学と、生態学と、文化の基層を掘りおこす民俗学的は最先端の学問であり、賢治はその一翼をになっていた。民俗学の佐々木喜善(遠野物語のネタの提供者)ともつきあいが深かった。
「農民芸術概論綱要」で、「われらに要るものは、銀河を包む透明な意志……と熱である」「まづもろともにかがやく 宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばらう」と、銀河系をみずからのなかで意識して生きる大切さを説いたのも彼の信仰と哲学のあらわれだという。
「銀河鉄道の夜」の特別展もおもしろかった。10年かけてかきつづけられ、最初の作品と最終版とでは大きく異なる。未完のまま賢治は死んだから、死後、今の形になるまでも紆余曲折があったという。
 記念館からは花巻盆地を一望できる。町は開発で激変したけれと、この山は昔のままの賢治の理想郷「イーハトーブ」(「あらゆることが可能である」心象中の世界)の空気がただよっているような気がした。

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(「花巻新渡戸記念館」は期待はずれだった。新渡戸稲造は花巻に住んだことはないが、その祖先は慶長年間から花巻にいた。その祖先についての展示が中心だ。俺が興味があるのは稲造の生き方だから、ちょっとピントはずれ)

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