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智恵子の安達太良山 「ほんとの空」は死の国だった?

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仲睦まじい2人の透明感

20210724智恵子生家と資料館 (1 - 6)

「あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川」
 高村光太郎の「樹下の二人」は中学時代に魅せられて暗記した。
 でも福島に通いはじめて、地元の人は「安達太良山」と呼ばず「乳首山」と呼んでいると知り、なぜ光太郎はよそもの言葉を使ったのか疑問に思った。
 二本松市の智恵子の生家と智恵子記念館を訪ねた。
 長沼家は裕福な造り酒屋で、智恵子は日本女子大に進学した。平塚らいてうらと交流し、「帰ってこい」という父に逆らって東京で画家の道を進んだ。そこで高村光太郎と自由恋愛をして29歳で、戸籍を入れない夫婦別姓婚をした。まさに「新しい女」だった。
「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさえたものでしょう。それにしばられて一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしが決めればいいんですもの、たった一度きりしかない生涯ですもの」と語ったという。

20210724智恵子生家裏山安達太良山 (11 - 13)

 体の弱かった智恵子は1年に数カ月は実家ですごした。光太郎も智恵子に会いに長沼家を訪れた。実家の裏山を歩いて尾根にのぼると、安達太良山が正面にそびえる。
「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」
 そうか、智恵子が東京の光太郎を案内する言葉だから、正式名を使ったのか。
 ふたりは手をつないで山を歩いた。
「この大きな冬のはじめの野山の中に、あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを……」
 夫婦の仲睦まじさと、なぜか悲しい透明感を感じる。結核だった智恵子に忍び寄る死の影を感じていたためだろうか。智恵子と光太郎の魂は、2021年7月にもウグイスになって丘を巡っているような気がした。

紙絵は最後の贈り物

 1916年に父が57歳で死に、19年と22年と27年に3人の妹が相次いで死んだ。跡を継いだ弟は母と反目し、3度の離婚をくり返し、放蕩三昧で29年に長沼家を破産させてしまう。
 3年後の32年、47歳の智恵子は精神を病み自殺を図る。その後、坂を転げ落ちるように智恵子の心は崩れていく。
 発病後の2人の写真がある。智恵子は50歳前後とは思えない、透けるようなかわいさだ。3歳差の光太郎とならぶと父娘に見える。年齢を感じさせない美しさは死が間近であることを暗示しているようだ。
 亡くなる2年前、光太郎は智恵子に千代紙を与えた。智恵子はそれを小さなはさみで切って紙細工をつくるようになった。1年ちょっとで千数百の「紙絵」がつくられた。
 言葉もほとんど失っていたが、作品を光太郎に見せることを智恵子は喜んだ。
 光太郎は智恵子抄について「いやな面は隠したんです」と述べていた。「連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき」「拙宅のドアは皆釘づけ」「窓をあけて、往来にいる子どもたちに演説するのも度々」という状況だった。支離滅裂な演説を街頭ではじめる狂女の住む家は「ばけもの屋敷」と呼ばれたという。
 智恵子抄には狂った智恵子のかわいさだけがつづられている。それでよかったと思う。修羅場があっても、2人の愛が崩れることはなかったし、智恵子は思考力を失っても紙細工という形で光太郎への愛を表現していた。空襲でアトリエが焼失し。知人にあずけていた智恵子の紙絵だけが焼失を免れた。智恵子からの最後の贈り物だった。
 1938年、死の床につく智恵子に光太郎はレモンを手渡す。それを智恵子はガリリとかんで、
「…かういふ命の瀬戸ぎはに 智恵子はもとの智恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた…昔山巓でしたような深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まった」

ほんとの空は「死の国」

20210725薬師岳から頂上遠景 (1 - 7)

 まだ統合失調症が発症していなかった28年、「あどけない話」で
「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ……阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」と記した。当時の東京の空はまだきれいだったはずだ。なのになぜ「空が無い」と智恵子は感じたのだろう。
 生家を見学した翌日、「ほんとの空」がある安達太良山に登ってみた。
 標高950メートルの登山口からスキー場わきの急坂を1時間ちょっとたどった薬師岳(1335メートル)からは正面に乳首山(安達太良山)が望めた。

 さらに1時間ちょっとで頂上の真下の広場に着いた。乳首である岩山をハイカーが蟻のように登っていく。時折雲が切れて磐梯山が姿を見せる。雲の間から宇宙の闇を映した深い藍色の空がのぞく。
 智恵子にとって「本当の空」とは自分がそこからやって来て、そこに帰っていくべき「永遠の世界」「死の国」だったのではないか。ふとそう感じた。
「死は人生にとっては奪いゆく暴虐な力であっても、ゆくものにとってはさらに高き生活への飛躍、清まり高められ拡大される歓喜と救いの恩寵にほかならない」と智恵子は書いていた。清まり高められ拡大される歓喜と救いを得られる場所が「死の国」であり、安達太良山の上に広がる空だった。実家の破産によって帰るべき「空」を失ったとき、智恵子の心は崩壊したのかもしれない。

 帰りはくろがね小屋の谷に下った。小屋のすぐ上、標高1500メートル地点に岳温泉の源泉が湧いている。昔はこのへんに陽日(ゆい)温泉という温泉街があったが、1824年、山津波によって一瞬にして全滅した。
 現在の岳温泉は、8キロ離れたこの源泉地から管で湯を引いている。湯の温度を下げないようにかつては、丸太をくりぬいた木管が使われていたという。

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