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歴史と民俗の博物館と氷川神社

■20200905
 大宮の氷川神社の参道と大宮公園をたぶん25年ぶりぐらいに歩いた。ツクツクボウシの声が響き、緑豊かで心地よい。


 氷川神社の案内板には、明治天皇も大正天皇も昭和天皇も平成も…と天皇が参拝したことを綴っているが、明治天皇が東京に来て最初に参拝した大事な神社なのになぜ「大社」「神宮」にならなかったのか、という部分はわからないし、出雲とのつながりも書いてない。原武史が指摘したように出雲とのつながりは黒歴史になっているのだろうか。
 ボートが浮かぶ池のまわりをぐるりとあるいて博物館へ。300円。
 常設展は、縄文時代から現代までボリュームたっぷりで息切れしそう。
 江戸時代の河川改修で、東京湾に流れこんでいた利根川は千葉県に流路を変えられ、荒川も現在の鴨川あたりを流れていたのが西に移された。2つの川がしょっちゅう氾濫していた荒れ地が、この大改修のおかげで広大な田になったという。
 見沼代用水は、もとは見沼というため池があったがそのかわりになるようにつくられた。まさに「代用水」だったのだ。
 しかもこの用水には、パナマ運河のように閘門によって船を上下させるシステムがあった。富山の富岩運河でそれを見て驚いて記事にしたけれど、さらにずっと以前にパナマ運河形式の閘門をつくっていた。

 石仏の展示もおもしろい。埼玉にも庚申信仰があり、青面金剛像の下に3匹のサルをあしらった碑があちこちにある。サルボボ(身代わり申)の文化はなかったようだ。

 庚申は60日に一度集まっていたが、毎月23日に女性が集まって月の出を待ちながら女性たちが読経し飲食する「二十三夜待」という集まりもあった。これははじめて聞いた。
 ムラの境界?に立てたという道祖神もかわいい。山梨に多くて丸石信仰とのつながりもあったと記憶している。埼玉の西北部や長野や群馬には双体道祖神の像が多いそうだ。

 ベーゴマを今もつくる会社は全国で川口に1社しか残っていないとか、小川近辺の和紙は日本三大産地のひとつだとか、ドジョウの料理法とか……興味深い展示が満載で、見終わるとヘトヘトになった。
 中学時代にあこがれたシャープのMZ-80というパソコンが民俗関係の展示品になっているのには驚いた。年をとるわけだ。

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